iTunes Uが始まっていた

シリコンバレーからの手紙130:英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u130.html

の中で、梅田氏は英語圏のネット空間の進化の事例として5月31日に開始したアップルのサービスiTunes Uを取り上げている。講義の準備にかまけていて知らなかった。

iTunes Uのホーム。

カリフォルニア大学バークレー校ヒューバート・ドレイファスによる2006年春学期の講義「文学と映画における実存主義」全27回。

懐かしいスタンフォード大ではローティやセールの講義が聴ける。



梅田氏は「全米トップクラスの大学の授業を好きなだけ『iPod』にダウンロードして、いつでもどこでも音楽を聴くように講義を受けることができる」iTunes Uを、もはや後戻りできないフェーズに突入したインターネット上の学習環境の整備の一環として捉えた上で、日本も否応なく巻き込まれている世界の5年、10年先の現実(未来)を予測し、ネット空間における英語圏と日本語圏の「パブリックな意識」の落差に対する危惧の念を表明し、そして未来に関わる、組織における「意思」決定および個人における「決意」の重要性について語っている。大学の存在理由もからんでいるのでアンビヴァレントに興味深い。

世界中の大学が講義を収録して公開しようという意思さえ持てば、MITのように大きなコストをかけずとも、瞬時に講義内容をネット配信できるインフラが整ったということなのである。
(中略)
英語圏では、大学や図書館や博物館や学者コミュニティなど、知の最高峰に位置する人々や組織が「人類の公共財産たる知を広く誰にも利用可能にすることは善なのだ」という「パブリックな意識」を色濃く持ち、そこにネットの真の可能性を見出しているように思えるのだ。その感覚が日本語圏のネット空間には薄い。
(中略)
「学習の高速道路」を構築するためのインフラはもうすべて用意されている。あとは日本語圏に生きる私たち一人ひとりが、日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意を持つかどうかにかかっていると思うのである。

iTunes Uのような事例を話題にすると、大学は単なる知識の習得の場、学習環境を提供する機関ではないという筋違いの反論をする大学関係者が少なくないのだが、それはすでにiTunes Uに参画している「全米トップクラスの大学」にしてもそうなのであって、対面コミュニケーションや様々な人的交流を通じた人格形成等はどんな大学でも大前提の環境要素である。また、確固たる地位と名声のある「全米トップクラスの大学」だからそういうことを無償(フリー)でできるのであって、日本の、まして地方の私立大学にはそんな基盤はないという意見も聞くが、それは全くの本末転倒の認識だと思う。むしろ無名に近い大学であればこそ、その存在を広く知らしめるための無償の手段として活用すべきはずである。それができないとすれば、近い将来その存在理由そのものをも失うことになりかねないのではないかと危惧する。問題なのは、ここまで進化したインフラを活用して、従来の何重にも閉じた教育環境、学習環境を社会的にどんどん開いて行く「意思」を明確に立ち上げて、実践する「決意」をすることができるかどうかということだと思う。

それにもまして火急な問題は、特に個人における「パブリックな意識」の向上、「日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意」、さらには日本語圏という閉域に風穴をあけるような工夫と努力をどれだけ実践できるかということが問われているのだと思う。