物語とは無意識である

自分のなかにどんな「物語」が生きて働いているかを知るのはとても難しい。本当の意味での「物語」とはほとんど「無意識」と言ってもいいからだ。物語の分析は無意識の分析に通じる。自分の言動を最も深いところで左右しているシナリオ。それは生まれてから聞き覚え、見覚え、習い覚えた断片的なシナリオのコラージュみたいなものだと思う。そんな物語的無意識のどこかに触れることが感動をもたらしたり、恐怖を抱かせたりするのだろう。

とはいえ、肝心なことは、意識的にどんなシナリオを立ち上げ、私を「あなた」と繋いで、何かを起こすことができるかということだとずっと思ってきた。ウェブログはそのためのメディア足りうるのか、それとも無力なのか。あるいはブログをも囲い込んだ大きなシナリオ、物語にやられているのか。だとすれば、それをまことしやかに物語っているのは誰なのか。