『グラヌール』8号「水辺に立つ」


(表紙:中村照子*1
月曜日に石塚千恵子さんとばったり出くわして『グラヌール』8号をやっと手に入れた。同僚の石塚純一さんと千恵子さんは東大に国内留学中のため、雑誌『グラヌール』編集・発行元の石塚出版局の拠点は、来年3月までは札幌にはない。2月に銀座で開催されるグラヌール展の準備のためにカメラマン同伴で数日北海道に滞在中の千恵子さんに札大で久しぶりに再会したのだった。今年も奄美自由大学に参加されたという千恵子さんの口からは、「奄美の精霊」よりも「北海道の精霊」のほうがより自然に近い気がしますという、それ自体精霊のような言葉が飛び出して、奄美に行けなかった残念を引きずっていた私は飛び上がるほど驚いたのだった。

『グラヌール』8号に添えられたテーマの言葉は「水辺に立つ」である。昨年奄美で「巡礼」を共にしたパリ在住の詩人関口涼子さんと東京在住の作家村松真理さんの文章が肩を並べて掲載されている。関口さんの「落ち穂拾いの食卓」はパリで生活の底に「ぺたん」と座って移民であることの覚悟を決めた頃の食を巡る、言わば文化の水際での交流のとても楽しい話。村松さんの「はなみず川」は記憶を遡るようにして川の体験を想起しつつも、そのような追体験そのものに対する違和感とそこからの現在の出口を鮮やかに示す小品。お二人とも、それぞれの流儀でそれぞれの水辺に立つ己の姿の一端を見事に言葉にしている。

『グラヌール』が毎号楽しみなのは、石塚純一さんの連載「拾う人」に毎回目を洗われ、石塚千恵子さんの「浦河への手紙」にはいつも心を洗われるからだった。

さて、私はどんふうに水辺に立っているだろうか、と問うてみる。少なくとも今の私にとっては、水とは、川とは、海とは、そして村松さんがいみじくも書いているように「雪だって水じゃないか」の雪さえも、「記憶」の別名である。そろそろ雪が舞い降りてくる記憶の水辺に再会することになる。不図、デレク・ジャーマンの「記憶の彼方へ」を思い出した。

グラヌール 第8号
発行日/2007年9月7日
編集・発行/石塚出版局
電話・FAX/045-663-5901

*1:札幌在住の陶芸家。