Old Lithuanian Songs:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、11月14日、318日目。


Day 318: Jonas Mekas
Wednesday, November 14th, 2007
5:34 min.

late evening in
Vilnius, listening
to old Lithuanian
songs, revived from
old notations---
you sang it so
beautifully ---

晩遅く
ヴィリニュスで
古いリトアニアの歌を聴く。
古い楽譜から蘇った歌。
とても素敵だったよ。

天井の低い洞窟のようなレストランの一隅。照明は蝋燭の明かりだけ。五人の若い娘たちが合唱する。同じ短調の旋律を反復するゆったりとしたリズムの曲。海の波に揺られるような、ハンモックで揺れるような、とは言え、決して「軽く」はない、むしろ暗く重い心の深い冷たくなった場所を少しずつ少しずつ温めるような、そんな歌(未同定!)。リトアニア語の歌詞は聞き取れないが、ふとトカチに伝わるアイヌの子守唄「イフンケ」(ihunke, A lullaby)を思い出す。

メカスは歌のリズムに合わせつつ、五人が平等に写るように、カメラをゆっくりと左右にパンし続ける。彼女達の向こうにはジュゼッペ(Giuseppe Zevola, 1952-)の姿が見える。他のテーブル席の客達の話し声も聞こえる。一曲目が終り、店内に拍手と歓声が沸き起こる。あまり間を置かずに、今度は同じような短調の旋律がハイテンポで反復される曲が手拍子に合わせて始まる。

***

試みに、「リトアニアの子守唄」で調べたら、ロカス・ズボヴァスが弾くチュルリョーニスの「リトアニアの子守唄」が収録された『ピアノ作品全集第4集』(CELESTIAL HARMONIES, 13264)がヒットしたが、これについてはすでに『知られざる佳曲』でしっかりと紹介されている。

また、「子守唄」とは別の文脈で、リトアニアアイヌを結ぶ「線」を思い出した。「アイヌ口承文芸を初めて録音したリトアニア民俗学者ビウスツキの音源(1903-1905)」(村崎恭子「地球ことば村」2006年4月)のことである。「ビウスツキの音源」について同じ村崎恭子氏は別の機会に次のように語っている。

ポーランドの片田舎の家の物置から、樺太アイヌ口承文芸が録音されたエジソン式蝋管(ろうかん)レコードが70本程見つかったんです。それは、19世紀の末にポーランドのブロニスワフ・ビウスツキという民族学者がロシア皇帝暗殺を企てた罪でサハリンに流刑された際、現地で録音したものでした。発見された時はすでにかなり痛んでいて、かびが生えたりしていたんですが、日本のハイテク技術を駆使して、最終的に62本が再生できました。それには樺太アイヌ語のハウキ(英雄叙事詩)やオイナ(神謡)がたくさん収録されていて、もう私にとってはわくわくするような出来事でした。
村崎恭子「最後の話し手−消滅する樺太アイヌ方言」1995年1月)

なお、ブロニスワフ・ピウスツキ(Bronisław Piłsudski, 1866-1918)その人に関しては井上紘一「ブロニスワフ・ピウスツキの足跡を尋ねて40 年 - 就中、その極東滞在の究明 -」(北大スラブ研究所研究報告集「No.5ロシアの中のアジア/アジアの中のロシア(II) 2004.12」所収)が詳しい。次のような要を得たピウスツキ略歴の記述がある。またこの報告には詳細な「年譜」と「資料」が付されていて非常に参考になる。

ブロニスワフ・ピウスツキは1866 年11 月2日、ロシア帝国に併合されていたリトワニアの、首都ヴィルニュス北東60 キロに所在するズーウフ(現ザラヴァス)で呱々の声を上げます。1887 年3 月にはペテルブルグで、ロシア皇帝暗殺未遂事件に連座して逮捕され、裁判を経て、同年8 月25 日には既にサハリン(樺太)に到着しています。当初は強制労働に服すべき国事犯でしたが、97 年2 月、本来の刑期15 年が恩赦で3 分の2に減刑となって刑期満了。99 年3 月には大陸のウラヂヴォストクへ脱出できました。しかし1902 年から3 年間は、かつての流刑地に再び舞い戻り、ロシア科学アカデミーの委嘱でサハリン原住民の調査に従事します。1906 年には日本、アメリカ合衆国、西ヨーロッパを経由して、同年9 月、三国分割のもとでオーストリア統治下にあったポーランド(ガリツィヤ)に帰着します。だが、その後の人生も概して不遇で、故郷のリトワニアに帰ることも叶わず、ヨーロッパ各地を転々と流浪のすえ、1918 年5 月17 日、パリにて自死を遂げることになります。享年51 歳でした。

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(蛇足)
以前にも書いたことだが、

リトアニアの首都名のウェブページ上の日本語表記は揺れていて面白い。英語表記は"Vilnius"で統一されているが、日本語表記はGoogle検索によれば、今日現在で、「ビリニュス」(約 86,500 件)、「ヴィリニュス」(約 30,200 件)、「ヴィルニュス」(約 14,100 件)、「ビルニュス」(約 1,110 件)、「ビルニス」(約 115 件)、「ヴィルニス」(約 738 件)という順位である。ウィキペディアではヒット件数第一位の「ビリニュス」が採用されているが、私は第二位の「ヴィリニュス」を採用してきた。上で井上紘一氏は第三位の「ヴィルニュス」を採用している。固有名の翻訳不確定性。

ちなみに、Wikipediaにはネイティブによる発音が聞ける音声ファイルが用意されていて、それを聞くと、何度聞いても、私の耳には「ヴィルノス」あるいは「ヴィルナス」と聞こえる。「ヴィルノス」をGoogle検索すると私が過去に書いた同趣旨の記事しかヒットしない。「ビルノス」と「ヴィルナス」ではリトアニアの首都関係の記事は一件もヒットしない。「ビリノス」はゼロ件。