活字再生プロジェクトは不可能か

7月31日のエントリー「活字の旅と記憶、港千尋『文字の母たち』」で、この地球上から急速に消えつつある活版と活字の最後を記録した貴重な写真集『文字の母たち』をとりあげて「未来の書物」を想像した。

その後、実は足許で関連する出来事が進行していたことを篆刻師の酒井さんのブログ『古い日記』の昨日の日付のエントリー「終り」で知った。

本日昼をもって、北海道での活字鋳造の火が消えました。

およそ三ヶ月前の9月28日のエントリー「活字が消える日」に、北海道最後の活字鋳造所であった株式会社フカミヤからの「活字鋳造部門の廃止のお知らせ」がそのまま掲載されている。「年内(12月21日・金)をもって、この部門を廃止することといたしました」という。そして「なお設備は3月頃までそのままおいておく予定ですので、特に大口のご注文の予定がございましたら事前にご相談いただければ、極力ご要望におこたえいたしたいと思っています」と但書きが付いている。

酒井さんは上のエントリーでこう書いている。

通知から僅か2ヶ月半少々、その間にどうにか残すべく方法を考えたけれど、間に合わなかった…。

せめて場所さえあれば…十〜十五坪程度の場所さえあれば…。
アイディアはあっても、それを実践できぬ経済的余裕のなさ。惨めな限り。

「同情」は後回しにして、前向きに考えられないかと思った。酒井さんのいう「アイディア」に魅力があれば、人とお金は動くかもしれないと感じた。

ただしアイデアは言わば「仕様書」にまで高められなければならない。そのためには過去と未来を見据えた上での「現在」を位置づけるような展望がきちんと語られる必要があるだろう。今の私にはそんな展望を語る力はないが、例えば、グーグルで「北海道、活字鋳造」などを検索しただけで、「活字」に対する興味やニーズが存在することを知ることができる。それらを上手く掬い上げることは必ずしも不可能ではないのではないかと感じた。

例えば、年賀状や名刺は、少し高いお金を払ってでも、やっぱり味と温もりのある活字印刷にしたいという若い女性たちもいる。

また、札幌には戦後まもなく、日本の出版文化史上瞠目すべき時代があったことなどに興味を持つ人たちもいる。

探せば、もっとあるだろう。そして大事なことは、それらは潜在的な興味やニーズの氷山の一角にすぎないということである。

そこで、もし「活字再生プロジェクト」なるものを立ち上げるとしたら、どうなるだろうか。例えば、過去、未来、現在に即応して下記の三つの観点から企画を練り上げることが必要になるのではないかと思う。

1過去:活字の意義を歴史的、文化的にきちんと整理し評価する
 (戦後数年間の「印刷の都」としての札幌の姿や「札幌版」の存在も含めて。)
2未来:電子化、デジタル化の動向のなかで「活字の遺産」を生かす道を示す
3現在:活字へのこだわりや好みの密かなブームを大きなブームにする
 (活字の魅力をどんどんアピールする)

2の「未来」に関しては、冒頭に挙げたエントリーでも引用した港千尋さんの言葉はヒントに満ちていると思うので再掲する。

 字を彫る人の姿勢は、ルーペを使っているとはいえ、基本的には字を読む人の姿勢と同じである。彼や彼女は椅子に座り、小さな字を見つめる。そのとき字を彫る身体は、本を読む身体と同じ知覚をもっている。字を彫ることは書物のアルファであり、印刷された字を読むことは書物のオメガであるが、その最初と最後がひとつにつながるように、同じ身体によって担われていることが、重要なのである。

 その身体感覚は、おそらくデジタルの時代にこそ求められるものだろう。文字を作り出すことと読むことを結びつけ、書物のアルファとオメガをつなげるためには、これまで人間の手によって彫りだされてきた、すべての文字が必要になるだろう。それらの母型をとおして立ち上がる記憶は、未来の書物の血肉となるであろう。

『文字の母たち』(084頁)

とにかく、現場にいる酒井さんが、これだけ進化したウェブを活用して、もっと「アイデア」をアピールすれば、どこからどんな展望が拓けるか分からないと思う。こうして私が酒井さんが直面している現実の一端を知ることができたのも、ウェブのお陰なのだから。

それにしても、港千尋さんのいう「文字の母」としての活字、それを生み出す活字鋳造の技術の消息に目を向け、「北海道の活字鋳造の火」をなんらかの形で「消さない」、継承する動きをなんとか作り出せないものだろうか。