残酷さを秘めた最高に美しい「復讐」の宣言

heiminさんがいいことを書いていた。
「おいどんはただ生きてるだけよ」(『平民新聞』2008-01-11)

そして何かに負けたわけでもなく、勝ったわけでもない、ただ生きている、それだけのことよ、という当たり前の事実を受けとめて、ぼくは口笛でも吹きながら、これからものんびりと楽しい景色を見ていきたいと思う。

「楽しい景色」にどきっとした。「美しい景色」じゃない。伏線があった。

前に一度、少し書いたのだけど、かつて若くして子供三人残し、自殺した女がいた。一度だけ、彼女を海に連れていった事がある。海がきれいだ、海がきれいだ、と同じ言葉を何度も繰り返す彼女は、ぼくの袖をつかみ、もっと色んな楽しい景色が見たいと笑って、その数ヵ月後に自分の体を切りきざんだあげく死んだ。彼女は何かに負けていたのだろうか、と今でもたまに思ったりするけれど、彼女は別に何かに負けたわけではなく、ただ死んだだけだ。

「もっと色んな楽しい景色が見たいと笑って」逝ったその人の何かがheiminさんの中で生き続ける。「ぼくは口笛でも吹きながら、これからものんびりと楽しい景色を見ていきたいと思う。」は「きっと言葉にして発する事はないと思う」こと、「自分の持っている残酷さには徹頭徹尾自覚的でありたい」というその残酷さを秘めた最高に美しい「復讐」の宣言に違いない。

それにしても、heiminさんの写真にはいつもドキリとする。