イタリック体の由来


古代ローマの碑文(詳細不明)*1。関連して、タイポグラフィを扱う専門書のほとんどが取り上げ、「すべてのローマン・アルファベットの永遠の源」という評価を与えている「トラヤヌス帝碑文」(113年)がある。


プリニウス著『博物誌』(1472)*2。こんにちのローマン体の元祖とされるヴェネチアン・ローマン体を完成させたフランス人のニコラ・ジェンソン(1420?―1481)製作のジェンソン活字が使用された。紀元1世紀の著述家プリニウスの現存する唯一の著作で、古典ローマ世界のあらゆる知識を網羅した百科全書として知られる。このジェンソン活字による『博物誌』は、活字版印刷史上もっとも重要な印刷物のひとつとされている*3


ウェルギリウスの著作『作品集』(1501年)。アルドゥス・マヌティウスによってチャンセリー・バスタルダ活字を用いて印刷された。初めてイタリック体が用いられた印刷物*4

欧文書体の歴史を遡ると、ルネサンス経由で古代ローマへと至る。今日でもローマン体には古代ローマの文化的残響が聞き取れるわけである。現代のローマン体/イタリック体の直接のルーツはルネサンス期にある。ローマン体に関してはニコラ・ジェンソン(Nicolas Jenson, 1420?―1481)による15世紀後半に設計されたヴェネチアン・ローマン体、イタリック体に関しては、16世紀に活字父型彫刻師フランチェスコ・グリフォ(1450?―1518?)が金属活字として鋳造した「チャンセリー・バスタルダ活字」である。

ルネサンス期に人間と世界の新たなヴィジョンを模索していた探究者たちが古代ギリシア・ローマの文化を「再発見」したことは学校の歴史の時間に軽く習うけれども、彼らが実は例えば上のような古代ローマの碑文の意味内容以上に、その書体の美しさ、デザインの完璧さに目を見張り、強く惹き付けられたということまでは習わない。今見ても感動しないわけにはいかないその美しい形と様式が後のヨーロッパの文化の屋台骨ともいうべきイタリック体の誕生も含む欧文書体の進化の原点になったことは非常に大きなことに思える。

そこには、単に古いものを愛でるという後ろ向きの姿勢ではなく、停滞したり閉塞した状況を鬱屈した精神ともども打開して未来を切り拓くために、ささやかな感動を契機にして、それを実際にどう全面展開させるかという前向きの姿勢、実践的な動機を見るべきだと思う。そのとき、古い/新しいという表層的な区別は意味を失い、実際にそれまで存在しなかったものを作り出すための原動力として単に古いと見なされていたものが新鮮に動き出すのではないだろうか。

イタリック体の原型は流行の筆記書体を元にした「チャンセリー・バスタルダ」であったことや、そもそも「イタリック」とは「イタリアの」が原義であることをはじめ、イタリア・ルネサンスの動向と深く連動したイタリック体の歴史、由来には興味深いことがたくさんある。そのなかで特に面白いと感じたのは、イタリック体はルネサンス期にイタリアの商業都市の繁栄の中で流行した筆記書体の様式化を背景として、そもそもは紙面の「経済」あるいは「印刷物の小型化」という目的のために考案され使用された「本文用の独立した書体」であったという事実である。現在の「強調」や「区別」のための限定的な用法とはかけ離れているところが面白い。そのあたりのことについては、下に詳しい。

それで、何が言いたいかというと、大きくは時代の動向の中で、小さくは具体的な制約の中で、古い形(ローマン体)が蘇ったり、さらにそこからひとつの新しい形(イタリック体)が誕生したという事実に、どこか現代にも通じる何かが垣間みられるような気がしたということ。