ページネーションとは何か

日本語の組版の基本を知りたくて調べたときに、書籍としては次の三冊がよく言及されていた。

(1)組版原論―タイポグラフィと活字・写植・DTP
(2)基本日本語文字組版
(3)明解クリエイターのための印刷ガイドブック DTP実践編 (コマーシャル・フォト・シリーズ)

そして、驚いたことに、(3)所収の鈴木一誌・前田年昭・向井裕一著「明解日本語文字組版」に基づいた鈴木一誌氏制作による詳細なマニュアルがウェブ上で無償公開されていることを知った。編集者、デザイナー、組版・製版および印刷担当者向けのマニュアルだが、私のような素人にも非常に役に立つ。

(その中では、例えば、以前私が取り上げた日本語横組の場合の「句点+読点」か「句点+コンマ」か、はたまた「ピリオド+コンマ」かに関しては、ズバリ基本としては「句点+読点」と銘記されている。)

そのとき、こんなことができる鈴木一誌とは何者なのか気になった。後で鈴木氏は杉浦康平の弟子筋にあたるかなり著名なグラフィック・デザイナーであることを知り、さらに異様な気迫の漲った著書『ページと力』を読んで、そのデザイン思想の深さに感銘を受けた。

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン

そもそも「ページネーション」という言葉に初めて出会った。普通なら、カタカナ言葉は嫌うのだが、なぜかこれには惹かれた。その概念を知りたいと思った。『ページと力』の「まえがき ページを生み出す力」に「ページネーション」の定義、そしてそのマニュアルの意義が力強く書かれている。

ひとつずつの活字を拾うことで行になり、行が集まってページとなる。ページが累積して書物ができる。この過程をページネーションという。ページネーションとは、本の一ページを生みだしていく行為でありつつ、同時にページ相互の連続性を誕生させていくことだ。ライプチヒの生徒たちは、ページの誕生に立ち会っている。
ページは相互にあらわれとして共通のものをもっていなければ、視覚的な連続性を読者に伝えられない。また、何字をもって一行とするか、行がどのような書体によって形成されるか、行と行のあいだの余白はどのくらいかなど、ページを発生させるルールが必要となる。そのルールの束をフォーマットと呼んでおく。そのフォーマットを可視的であれ不可視的であれ、基底から支えるのがマニュアルである。
デジタル技術によって具体化されるデザインは、デジタルなフォーマットを多かれ少なかれ身にまとう。ページを出現させるフォーマットは、単層ではなく、多層なのだろう。後世になってしか見えてこないフォーマットの層もあるはずだ。「デジタル・デザイン」と言うときの「デジタル」と「デザイン」のあいだの中黒「・」には分厚い断層が横たわっている。
デジタル・デザインによってページを生みだしていくための基本的なルールとして、わたしが公表した「ページネーション・マニュアル」は、おもにはブック・デザインにおける提案だったが、デジタル技術によって文字をあつかうあらゆる行為、つまりは組まれた文字をデジタル技術によって読む行為にも有用であることを願っていた。
(9頁〜10頁)

引用文中「ライプチヒの生徒たち」が登場するのは、この前段で、ある象徴的なエピソードが綴られているからである。鈴木氏は偶然訪ねることになったライプチヒの工芸高校の教室で大勢の生徒たちが手にステッキ(活字組版の用具)を持ち金属活字を組んでいる場面に遭遇したのである。それを読んだとき、私は日章堂印房でステッキを持ち活字を組んだ体験をまざまざと思い出した。

本書で展開される鈴木氏のデザイン思想の深度は「まえがき」最後の次のような言葉にも窺える。

垂直に累積するばかりでなくズレながら水平にも伝播していくページのフォーマットは、われわれを何重にもとり巻いている文字や言葉と干渉しあい、われわれの生活環境そのものとなっているにちがいない。
(10頁)

いずれ、本書の思想的核心を杉浦康平氏の思想との関連で論じてみたい。