10年前のタイポグラファー宣言:津軽海峡を渡った『組版原論』

「先生、最近ちょっと肩に力が入りすぎてるんと違います?これでも読んで、力を抜いた方が見通しよくなると思いますけど」とは言わないが、そんな空気に包まれて一冊の大型本が届いた。デザインを生業にしているタクオが、私の十年遅れの牛歩の歩みを見るに見かねて、私も以前からなんとか手に入れたいと思い探していたが現在絶版中で入手できずにいた本、府川充男著『組版原論』(太田出版、1996年)をポーンと津軽海峡越しに送ってくれた。

扉(表題紙)にはタイポグラフィの核心的定義、そしてDTP時代のタイポグラファーのあるべき姿が力強い宣言として記されている。

タイポグラフィ組版術・擺書術)とはしばしば誤解されるような「レタリングの親戚」では凡そない/それは<読む媒体>、とりわけ図書の/構造設計全般に係る/優れて実践的な技藝の謂である/本書は「タイポグラフィ」の視点から/合理的な組版-印刷工程の/組織化へと接近しようとする/一つの試みに外ならない

三代木村喜平・大鳥圭介本木昌造による近代和文鋳造活字創製から百四十年弱/上海美華書館の明朝活字移入から約百二十年弱/今日のDTP時代に真っ当なタイポグラファーが掲げるべき旗印とは/活字組版・手動写植の最良の発想と構造とを/電子的情報処理の工程の中に再び現前せしめる/技術的智識の体系------すなわち<電子聚珍版>にこそ外ならぬ/活字書体覆刻と組版ルールの確立という双つの迂路を辿りつつ/我々は<電子聚珍版>の実現に向けて邁進する/本書はそのささやかなアプローチである

また、帯の紹介文にはこうある。

実のところ、いま最も切実に必要とされているのは先行する世代の経験の継承と「電子的復元」であり、そのための智識は何よりも活字時代の資料から汲み取られる外ない。

図らずも今年初めて活版印刷を体験したことの意味にこうして改めて光が当てられる。こういう本を10年前にちゃんと読んで、実践経験を積んできた編集者・デザイナー・DTPオペレーター(どれくらいいるのか知らないが)に向かってどれだけ意味のあることが言えるかどうかが自己評価のひとつの基準になるわけだ。

前エントリーのメカスの言葉じゃないが、どれだけ力強く「後戻り」できるか、が鍵だと感じる。つまり、現在をどれだけ広く深く捉え返しながら歩くことができるか。みんな先のことばっかり考えようとするけど、それって無駄というか空虚なことで、過ぎ去ったことをどれだけ深く強く自分のなかにつなぎ止めておけるか、そのために後というか前というか過去(歴史)を考えなければダメだと感じる。何て言うか、どれだけ過去(歴史)を新鮮な状態でキープできるかかが、勝負所かなと今は思う。

それにしても、気づいたら、府川充男が書いた大型本に囲まれていた。『聚珍録』などは枕頭の書ならぬ、文字通りの枕になるほどの嵩である。ちなみに写真に写っているのはその『聚珍録』の第二巻目の「書体編」であるが、その目次でみると、昨日記した「築地体パラダイム」の成立はこのあたりである。