寄り引きの補正、私のささやかな実験

府川充男氏はタイポグラフィの技術の「いろは」を二点に要約する。

タイポグラフィ」ということのアルファにしてオメガというのは、何をどう組み合わせるか、つまり、第一に、どういう形の文字を、つまりどういう字体・書体・書風の文字を、第二に、どのように、つまり人間の眼のどうしても持ってしまう錯覚を利用して組み合わせていくのかという技術に尽きます。(『組版原論』31頁)

その「錯覚」とは「錯視の構造」のことで、「人間の眼にはある傾向、錯視の傾向があって、一直線が一直線に見えなかったり、同じ寸法が違って見えたり」することを指す。したがって、

タイポグラフィの扱うものは一般に文章語の文字列ですから、そこにおける錯視の構造への対処です。偏って見えてしまったりする文字の位置を是正することを「寄り引きの補正」といいます。タイプフェイス・デザイン自体においても、最も肝腎で、最も手間のかかることは寄り引きの補正を中心とした、錯視の構造への対処です。(『組版原論』32頁)

その「寄り引きの補正」に関して、タイプフェイス・デザイン(書体設計)の観点から小宮山博史氏は具体例を挙げながら詳細な解説を行っている(「明朝体の歴史とデザインを考える」、『真性活字中毒者読本 版面考証/活字書体史遊覧』(柏書房、2001年刊)所収、238–246頁)。そのなかで、大変興味深かったのは、書体デザインの基本にも関わる人間のひとつの錯視の構造の発見法だった。目の前に一枚の白紙を置いて、中心だと感じる場所に点を打ってみる。それだけの方法である。結果は想像できますか?大半の人は幾何学的な中心(対角線の交点)よりもやや左上に「中心」点を打つんです。

疑い深い私は実際に試してみたが、たしかに、そうだった。


赤丸で囲んだのが私の自然な「中心」点。

この発見によって、小宮山氏によれば、書体デザインのいくつかの問題が解決されるという。

まず、「十」を書くときは横線は上へ上げろということになります。それから「日」を書くときにも真ん中の横線は上へ上げろということです。そして、少し左気味に寄るんだから、「皿」を書くときには右の脇を大きく取れということになります。つまり、非常に簡単なそういう作業というか実験で、明朝体、或は書体デザインの基本的なことが解決できるポイントが分かります。これは、書体デザイナーが無意識にやっていることです。(243頁)

ヘー、なるほど、と思った。


縦線が入って「王」になっていますが、深い意味はありません。

そこで、少し応用的な実験として、例えば「三」を定規を使って幾何学的に水平に書いてみたら、右に下がって見えた。そこに私が「自然」だと感じる「三」を書いてみたが、かなり右肩上がりになる(写真左)。両者をしばらく眺めていてあることに気づいた。そうか、例えば、幾何学的「三」の右側に「山形」のアクセント(追記:専門的には「ウロコ」と呼ぶ)を付けてやれば、自然に「水平」に見えるように補正することができるではないか(写真右)。このささやかな実験を通して、書体設計とは、錯視の構造と闘いながらの細かい作業の積み重ねなのだなあ、大変だなあと改めて実感した次第である。

ちなみに、私は文字を書く時に、紙をやや左に傾ける癖がある。これは上の錯視の構造と関係しているのだろうか。右利きの妻もそうだ。ところが、左利きの娘に尋ねたら、「私はまっすぐよ」とそっけなく答えた。