近づけない祠

人里離れたある沢を流れる川の上流に粗末な作りのかなり傷んだように見える祠(ほこら)がある。以前から気にかかっていた。先日、山中の寺を偶然訪ねた帰りにふらりと見に行った。

このように、すこし川に突き出した淵の上に危ういバランスで建っている。川の流れの勢いをそこで押しとどめようとするかのようなセッティングに感じられる。最初にこの辺りに入植した人が建てたものだろう。当時はそのあたりがいわば結界だったに違いない。しかし、その少し上流には祠の存在をかき消すような床固工群が設けられている。

残念ながら、祠に近づくことはできなかった。不思議なことに、祠に通じる道が見当たらないのだった。川を渡って淵をよじ登るしかなさそうだった。次回挑戦してみよう。

それにしても何が祀られているのだろうか。水神としての龍神が祀られているのだろうか。「白龍」という文字が見えるような気がしないでもない。龍(竜)ほど興味深い想像上の動物はない。おそらくは土地(自然)と人体を結ぶ水という物質の「力」を巧みに象徴する存在なのだろう。あの祠の中に例えば下のような竜の絵があったら、と想像すると楽しい。ありえない。


「九龍図巻」宋の陳容画(ボストン美術館)*1


釈迦八相記今様写絵(二代目歌川国貞、19世紀)*2

祠の背後の開けたように見える土地は、実は採石され尽くして死んだ山である。かつての結界を無視してその後人間は山を削った。

そして隣の沢の奥まったところにあった砕石工場は今では廃墟(写真)になっている。廃墟とは受け身の結界ではないかとふと思った。

*1:This image is in the public domain.

*2:This image is in the public domain.