映画の真実あるいは人生の遠近法

映画って、よく分からない。変な言い方だが、人生は映画みたいなもんだということを告げるために誕生したのが映画なのかもしれないと思うことがある。佐野真一が「狂気のフィルム行商人」と呼んだ映画監督渡辺文樹軽犯罪法違反容疑で警視庁公安部に現行犯逮捕された。映画『天皇伝説』の告知ポスターを街路灯に貼った容疑らしい。つねにこの国の「表現の自由」度を挑発的に試すようなタブーを映画化してきた渡辺監督だが、今回で多分三回目の逮捕である。ちょっと思ったことがある。普通は何らかの形で上映ないしは鑑賞される、あるいは上映禁止に追い込まれるような作品が映画だと思われている。そしてそのような作品としての映画の外部にこの国の体制が存在するかのように思われている。だから、ある作品としての映画が上映禁止に追い込まれると、この国の体制を批判する言説が繰り出される。それはそれでよい。しかし、映画というものを、監督が逮捕されるとか作品としての映画が上映禁止になるという事件やそれらをめぐる様々なメディアの反応をも潜在的なシーンとして含んだスクリーンを超えた、外部を持たない、超作品だと考えることもできるのではないか。そうだとすれば、今回の渡辺監督逮捕事件とそれに対する各メディアの反応は、監督自身がどう考えているかは別として(確信犯のような気もするが)、超作品としての映画『天皇伝説』の必須なシーンであったと言えるのかもしれない。