クルミでスマイル、略して「クルスマ」。

誰のものか分からない「正解」を無闇に求めるのではなく、自分を含めた周囲の人間が、そうだよな、と心底頷けるようないわば「納得解」を現実的に具体的に追究すること。これは一昨日紹介した『つなげる力』(asin:4163705902)の著者藤原和博さんのひとつのメッセージでもある。今の世の中では人生で何か問題や課題にぶつかったときに求められるべき解答は、正解ではなく、納得解である、と。

そのような納得解の大きな特徴は、立場の違う多くの人たちを「つなげる」ような力をもつことにある。実は、わたしたちが直面する世の中の大半の問題を解決するには、いたってシンプルな方針が有効である。つまり、まったく違う要素を「つなげる」こと。そうすることで目からウロコが落ちるようなよい結果が次々と生まれる。もちろん、何と何をどうつなげるかは日々模索してなくちゃいけないと思うけどね。

そういうわけで、昨日、町内会の「見守隊」に出会ったとき、花咲か爺としては、「つなげる力」を応用して、単独勝手行動の「見守爺」の域をなんとか超えたいなあという思いが芽生えたのだった。何かと何かをつなげたい、何と何をつなげれば、楽しいこと、愉快なことが起きるだろうか、と考えていた。

花咲か爺の売りは「笑顔」である。それに何を「つなげ」れば、もっと凄いことになるか? ヒントはすでに手中にあったことに今朝ハッと気づいた。先日こんな戯れを紹介した。

これは、自宅の玄関横あたりに背後の山から毎日ボタッ、ボタッ、ボタッ、と落ちてくるクルミの実を使った、クルミと笑顔を「つなげる」アイデアだった。しかし、結果としては家族の笑顔がゲットできたに留まり、あくまで個人的な趣味、慰みの域を出ないものだった。

ところが、今朝玄関横あたりをふと見やると、もう、これでもかってくらい沢山のクルミが落ちていた。写真は1分もかからずに拾い集めたクルミである。まだまだ沢山落ちている。そのとき、花咲か爺の脳裏に次のような方程式がひらめいたのである。

クルミ+笑顔)× 子ども= ∞

どう? クルミと笑顔をつないで、それにさらに子どもをつなげればいい、と。大量のクルミに笑顔を描いて、町内に住む子どもたちみんなにいろんな方法で配る。それが子どもの手に渡れば、そこから先はワクワクするような色んな展開が予想される。基本的に「可愛い笑顔」、しかもクルミの実は殻を割れば食べられる栄養価の高い「大地の恵み」でもある。おやつにもなれば、美味しいクルミパンだって作れる。そんな実が町内のあちらこちらに成っているんだという認識も生まれる。そんなクルミが子どもからお母さんの手に渡れば、きっとお母さんの顔にも笑顔が生まれる。家の中にあったかい空気が生まれる。それはお父さんにもいい影響を及ぼす。笑顔のパワーが町内の家々に浸透していき、町内全体に笑顔が溢れるようになる。...。

こうして花咲か爺の超ナイーブで楽観的な希望と展望はどんどん膨らんで行くのであった。おっと、携帯電話が鳴っている。なに? 洗濯物外に干しといて? はい、はい。