ピースとパーツ


松田行正「Parts Catalog by Joan Miró」(『Designers' Workshop』 Jun. 2000 vol.17 no. 109 p.118)

世界はジグソーパズルのようにピースから成るのではなく*1ジョアン・ミロの絵のようにパーツから成ると思ったのは大学生の頃だったろうか。その頃、カンジンスキーやマレーヴィチデュシャンの作品のなかにも、シャガールの絵にさえ、同じようなパーツを見ていたように思う。彼らの絵に、世界には唯一の中心などなく、それぞれのパーツがいうなれば中心であって、いたるところに中心はある、もっと言えばそもそも中心という観念が間違っているのだという思想を読み取っていたのだろう。

もうすこし敷衍できるだろうか。

あらかじめ決められたひとつの絵柄(世界)を分解した従順で詰まらないピースではなく、それ自体今にも動き出しそうな我が儘で愉快なパーツ。そんなパーツからはひとつの決まった絵柄(世界)は構成されない。どこに焦点を合わせるかによって全く異なる世界が立ち上がる。あるいは見るたびに違う世界が見える。彼らの作品は一つの世界、一つの全体を描いているのではなく、世界や全体はそのようには出来ていないことを示している。彼らの作品はそのような世界の真相を垣間見させるためのとりあえずの枠組でしかない。

*1:昔からジグソーパズルが好きになれなかった。その理由は多分ディズニーランドが好きになれない理由につながっているような気がする。