太陽がいっぱいで潮の匂いのするとってもいい本


海女の島―舳倉島



フォスコ・マライーニFosco Maraini, 1912–2004)


沖家室島の松本昭司さんに導かれるようにして、知っていると思っていたが実は何も知らなかった「海女」の世界に触れ、私にとっての「世界」の未だに穴だらけでフレームもピントも図柄も定まらないジグソーパズルのピース群が「海女」というピースによって、ひとつの深いイメージに収斂しつつある気がしている。「海女」に関しては古典とも言えるのかもしれないイタリア人の人類学者、民俗学者、写真家、ドキュメンタリー映像作家であるフォスコ・マライーニの『海女の島《舳倉島》』を読んだ。北海道や名古屋や京都にも暮らした経験を持つ彼はすでに失われつつあった原始の海女の世界の記録を残してくれた。


海。


それを私は、そして舳倉島を訪ねる前のマライーニもまた、平板にしか捉えていなかった。西欧人にとっては、海国ともいえるイタリアに生まれ育ったマライーニにとってさえも、根をおろすべき場所はあくまで陸地、内陸であり、海は陸地で暮らす人間にとっては時に地獄と化すような、できれば遠ざけておきたい空間であったという。地中海などは限りなく陸地に近い穏やかな海にすぎず、地中海文明など海の表層をなぞる程度のものでしかなかった。それに比べて、彼が昭和30年代にドキュメンタリー映画撮影を目的として滞在した舳倉島で体験した海は荒々しく、絶えずその深みを垣間見せる空間であった。彼の偉いところは、自ら海に潜り、持参した道具を使って大きな鯛を仕留めるなどして、海女たちが体験している海の下にひろがる世界を自分でも体験したところだ。島で生きる海女たちは実は海で生きている。彼にとってはとうに失われた世界の記録でしかない神話的世界が目の前に展開されていた。舳倉島の男も女も子供達も老人達も皆、海の申し子であることを彼は知ることになった。海は陸の果てるところから始まる危険極まりない領域ではなく、むしろ危険と背中合わせの生が躍動する海の中に浮ぶ舟に過ぎない場所が島であり、ちょっと大きな船が大陸に過ぎない。

マライーニは最後に舳倉島の属島ともいうべき七つ島の中の御厨島(みくりやじま)を訪ねた。そこで出会った若い、当時18歳だった海女の妙子に「妙子、海の下はどんなところですか」と訊いた。それに妙子はこう答えたという。「おお、きれいですよ。どんなにきれいだか誰も知らないのよ。ときどき、淋しくなるわ……」


失われてしまった世界、失われつつある世界に強く惹かれる。そういう所にしか人は本当は根をおろして生きられないのではないかと思わせられるような世界。それを少なくとも自分の想像力が及ぶ範囲でしっかりとつかんで手放さないようにするしかないのだろうな、、。


参照