色彩と半音階

今朝の藻岩山。自宅屋根上から。背後の空に「言葉」が浮かんでくるような幻影にとらわれる。(→ 大判カラー

レヴィ=ストロースの庭

レヴィ=ストロースの庭

港千尋の写真集『レヴィ = ストロースの庭』に関して、写真の中に埋もれるようにして挟まれた三つのテクストのうち第二のテクスト「写真と音階」はちょっとした宿題だった。それはいわゆるモノクロ写真の核心に触れる内容だったから。

モノクローム写真は、視覚のチャンネルを明暗に絞り込むことによって、視感覚と他の諸感覚との間の敷居を低くし、一種の共感覚状態を作り出す。したがって、モノクローム写真には、欠けた色彩のチャンネルを補うようにして他の感覚や半ば埋もれていた記憶が時間を逆流させるように総動員され、それを見る人の無意識がそこに映し出されるという非常に激しいことが起こる。

レヴィ = ストロースも、港千尋も、そこまでは語っていないが、そういうことだと思う。

港千尋は独特の矜持をもって、その言葉を一度も使うことなく、でもその言葉が指す深い感情、人間の普遍的な苦痛と詠嘆に裏側からそっと近づいているという印象を持った。つまり、サウダージ(Saudades)。


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