時間の捕虜

サンパウロへのサウダージ

サンパウロへのサウダージ

65年の時を隔てて、レヴィ = ストロースと今福龍太が歩いたサンパウロ市街。


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 数千年という時間の堆積を都市空間に歴然と宿している西欧の諸都市とちがって、レヴィ = ストロースがサンパウロに見たのは「移ろいやすい若さ」だった。わずか50年の時の経過が、都市に臆面もなく色褪せたものを露呈させ、わずか半世紀という慎ましい時の隔たりのなかで、すでに「過去」や「追憶」が分泌されてしまう場所------。レヴィ = ストロースは、ここに「懐旧」にかかわるまったく異なったリズムと感情のモードがあることを直観し、時間が歴史を生みだしてゆくという堅固なプロセスの瓦解を感じとった。「時間というものに無頓着な町」と彼は書いているが、逆にいえば、そこには過ぎ去るものを愛で、失われるものを悼み、別離をいとおしむ感情が、異なった時間的産物として、あるいは無時間の地平に置かれた瞬時の感情のはたらきとして存在している、ということでもあった。私は、たえず「いま」という時の瞬間的な充満と喪失に配慮するこの特異なブラジル的悲嘆のあり方を、「サウダージ」という翻訳不可能な深い感情複合体の核心に感じとった。レヴィ = ストロースの写真じたいが分泌する、不可思議な時の迷宮の感覚に導かれて、私自身もカメラを手に、65年前の風景が撮影された同じ街角、「この同じ場所」に立つという試みに踏みだした私の内部には、このサウダージの感覚への深い共鳴があったのである。

 私自身による再撮影の彷徨は六ヶ月ほどの期間におよんだ。都心域の治安が決していいとは言えないサンパウロ(→ 南米漂流)において、高価にみえる大型のカメラを首から無造作にぶら下げて街頭を歩くことは禁物であり、私は小型でシャッター音もほとんど聴こえないライカ・ミニルックスをポケットに忍ばせて歩いた。「再撮影」と書いたが、実際に同じ街角を自分の手で「写真に撮る」ことに、私がどれほどの重要性を置いていたかはいまだによくわからない。ただ私は、ブラジル版『サンパウロへのサウダージ』の見返しに印刷された古いサンパウロ市街図と、そこに大まかに図示された各写真の撮影場所と想定される地点を示す記号をたよりに、車の通りの少ない日曜日を選んでは中心街に赴いた。

(中略)

ふと、私が生きてきた半世紀ほどの時間と、レヴィ = ストロースがまもなく行き着く百年という生命時間とがどこかで縺れ合い、正円の虹のような環になって踊り始める幻影にとらえられる。いわれなきサウダージの感覚が、日常的には前進する時間の捕虜でしかありえない人間存在への深い悲嘆とともに、ある憧憬の感情を呼び起こす。私はもっぱら、レヴィ = ストロースの足が触れていた同じ地面、同じ敷石に65年後の自分の足裏(あなうら)で触れながら、「世紀」というような歴史的時間が人間の個体としての生命時間にどのように触れ合うのかを、このとき確認しようとしていたのかもしれなかった。そのときの私の小さなライカには、もはやナイーブな「現在時」を記録するためのフィルムなど、装着されているはずもなかったのである。感光すべき光は、どこか別の場所からやって来ていた。
(今福龍太「時の地峡をわたって」、『サンパウロへのサウダージ』133頁〜139頁)

「時間の捕虜」という表現に、思いがけず、パステルナーク(Борис Леонидович Пастернак, Boris Leonidovich Pasternak, 1890–1960)の無題の詩を思い出していた。

2004年5月18日、フーバー・パビリオン(Herbert Hoover Memorial Exhibit Pavilion)で開催中だった「パステルナーク展:永遠の人質」で撮影。

パステルナークは、積極的に時間の虜になり、捕われて、「永遠の人質」になる芸術家にオマージュを捧げたのだった。

フィルムに「感光すべき光」とは、心に「感光すべき」言葉、「どこか別の場所からやって来ていた」詩のような言葉であるだろう。