今年初めに復刊されたル・クレジオの『砂漠』を買った。砂漠に惹かれる。どうしてだろう。映画『アラビアのロレンス』のなかで、ロレンスが砂漠に惹かれる理由をたしか「清潔だから」と答えていたことを思い出す。そして、たしか砂漠は陸の海であると言った人がいた。人間の営み、生命を拒絶するかに見える砂漠こそが実は生命を、精神を深く耕す場所であるというような考え方だったような気がする。分かるような分からないような考え方だが、惹かれる。アメリカで果てしなく続くように思われた乾燥地帯を走り続けたとき、自分の小ささを痛感した時の解放感と悲哀の入り混じったような感情のことも思い出す。「私は言葉によって見る」というル・クレジオが砂漠に見たものを味わいたい。
佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文芸春秋、1996年)が文春文庫で読めるようになった。2009年1月31日付けの「文庫版あとがき」で佐野眞一は現在の日本社会の現状を「内戦状態」と指摘している。
不透明さだけが増し、先行きがまったく見えない現在の日本社会は、恐ろしいほどの閉塞感に包まれている。派遣社員ばかりか正社員まで平然と首切りし、毎年三万人の自殺者が出るこの国は、完全に社会の底が抜けてしまった。
もっと言うなら、日本社会は一種の「内戦状態」に突入したといえるのではないか。自殺者三万人という数字は、阪神淡路大震災クラスの大地震が一年間に四、五回起きている計算である。
そんないま、日本列島の津々浦々に生きる名もなき庶民の生活を記録し、明るく励まして歩いた宮本の生涯は、宝石のような輝きを帯びて迫ってこないだろうか。そして宮本が残したおびただしい著作と写真は、滾々と湧き出る源泉のように、われわれにあらためて生きる勇気を与えていないだろうか。(464頁〜465頁)
「内戦状態」という言葉に、佐野眞一の視線の先に広がるぞっとする光景が垣間見える。年間自殺者三万人という数字は、毎日八十人あまりの人間が目に見えない敵に目に見えないやり方で次々と殺される社会状態が続いていると解釈することもできるだろう。しかもそれは氷山の一角にすぎず、数百万単位の予備軍がすでに社会から家の奥に撤退している。それがこの世で生き延びる最後の手段だと言わんばかりに。これを異常と言わずして何を異常と言えるだろうかという気さえしてくる。
そんな日本に「砂漠」は処方箋たりうるだろうか。