舌の下にunder your tongue: Earth and Ashes by Atiq Rahimi

灰と土

灰と土

アフガニスタン出身でフランスを拠点に活動する新進気鋭の小説家であり映像作家であるアティーク・ラヒーミーの処女小説の邦訳『灰と土』について二度書いた。ひとつは「翻訳」をめぐる裏事情について、もうひとつは「映像感覚あふれる現代小説」とも評されるラヒーミーの聴覚的世界認識の特徴について。

「あとは」、いつかラヒーミーの映像作品を見たり、アフガニスタンダリー語に触れる機会があればいいな、と思っていた矢先、注文していたのをすっかり忘れていた、英訳ペーパーバック版の"Earth and Ashes"(VINTAGE U.K. Random House, 2003)が届いて、その本の「薄さ」とアルファベットの並ぶ姿に、関口涼子さんが「日本語」に移したフランス語=ダリー語の淡い影のようなものを感じて、ちょっと驚いた。

Earth And Ashes

Earth And Ashes

関口涼子訳、アティーク・ラヒーミー著『灰と土』をめぐって」で引用した邦訳の冒頭と末尾の「オリジナルの空気」を英訳を「通して」感じようとした。

「おなかがすいたよ」

 きみは、赤地に白く染め抜かれたりんごの花模様の風呂敷からりんごを
一つ取りだし、埃まみれの上着の裾でぬぐう。
(7頁)

'I'm hungry.'

You take an apple from the scarf you've tied
into a bundle and wipe it on your dusty clothes.
(p.1)

 きみは足を緩め、立ち止まる。身をかがめる。指先で、灰色の土をひと
つまみ取り、舌の上にのせる。きみはまた道を行く……。後ろに組んだ手は
りんごの花模様の風呂敷を握りしめている。
(116頁)

You slow your pace. You stop. You bend down.
You take a pinch of grey earth between your
fingertips and place it under your tongue. Then
you continue on . . . Your hands are clasped
behind your back, holding tightly the bundle
you tied from the apple-blossom scarf.
(pp.53-54)

英訳を写していて、私にとっては驚くべきことに気づいた。邦訳では「指先で、灰色の土をひとつまみ取り、舌の上にのせる。」とあるイメージそのままに、私は当時の、そして現在に続くアフガニスタンの現実を深く象徴する「灰色の土」を文字通り舌の上にのせて、その苦みを即座に味わったような気がしていたが、そのセンテンスに相当する英訳"You take a pinch of grey earth between your fingertips and place it under your tongue. "では、「舌の下にunder your tongue」とあるではないか。これは私の初歩的な誤りかもしれないが、作者ラヒーミーは、主人公の老人ダスタギールに、その灰色の土を文字通り「舌の下に」置かせたのではないかと思った。「舌の下に置く」のは、ニトログリセリンや特殊な錠剤などを口のなかでゆっくりと溶かす必要のある場合である。この最後の場面では、舌、tongueは言葉を乗せたり、食べ物を乗せる器官のひとつであることを止めて、息子に会えなかったダスタギールの「心とおなじくらい大きな悲しみ」をゆっくりゆっくり「溶かす」ための器官になったのだと。

『灰と土』では、献辞の後の小説の扉に、ラファート・ホセイニー(Rafaat Hosseini)の言葉が刻まれている。

彼の悲しみは
彼の心のように
大きかった

英訳では、

He has a great heart,
as great as his sorrow