「声」の歴史の断絶

宮本常一は九州への旅(昭和15年、33歳)の回想の中で明治維新を境目とする日本人の「声」の歴史の深い断絶に触れている。大変興味深い。

 私が年寄りたちからいろいろの話を聞くようになったとき、明治維新以前のことを知っている人たちとそうでない人たちの間に話し方や物の見方などに大きな差のあることに気付いた。たとえば維新以前の人たちには申しあわせたように話しことばというよりも語り口調というようなものがあった。ことばに抑揚があり、リズムがあり、表現に一種の叙述があり物語的なものがあった。維新以降の人たちのことばは散文的であり説明的であり、概念的であった。そしてその傾向が時代が下がるにつれて次第に強くなる。知識を文字を通して記憶していくようになると、説明的になり散文的になっていくもののようである。こうした旅にもそれをはっきりと知ることができた。
 屋久島の年寄りたちの話は語り物を聞いているような感じのするものが多かったが、今『屋久島民俗誌』を読み返してみると、私はそれをすっかり散文にし箇条書きにし、また聞いた話を私なりに分解してしまい、ことばそのものの持っていたひびきのようなものは洗いおとしてしまっているのである。そこに住む人たちの本当の姿を物語るのは話の筋------つまり事柄そのものではなくて事柄を包んでいる情感であると思うが、そのような形で聞き取りを整理したものはほとんどない。物を調べ、それを文字で再現することがどんなにむずかしいことか、しかしその頃は情感的なものを洗いおとして鹿爪らしく散文的に書くことが学問として価値あるように思ったのである。
(『民俗学の旅』asin:4061591045 109頁)

このくだりを読んだとき、私にはまるで明治維新を境目にして日本人の「声」が死んだかのように思えた。もう二度と実際には聞くことのできない「生きた声」がかつてはひびいていた。今私の話す声はいわば瀕死の状態にある。そんな思いにとらわれた。維新以前の詩的で物語的な口調を聴いてみたい。

後に宮本常一は古老たちの語り口調を文字によってできるだけそのまま再現するスタイルによって「ことばそのものの持っていたひびき」、「事柄を包んでいる情感」を掬い上げ、「土佐源氏」をひとつの頂点とする民話群を『忘れられた日本人』(1960年)としてまとめることになるが、それらも畢竟文字でしかないわけで、それらから生の口調を想像することには明らかな限界、深い断絶がある。もし、当時携帯録音機があったなら、と想像する。宮本常一はペンカメラと同じように駆使したにちがいない。

ところで、日本語最古の録音は1900(明治33)年のパリ万博時の蝋管録音で、*1 二番目に古いのは1903(明治36)年の落語音源のようである。*2 ちなみに、世界で一番古い録音は、エジソンによる記念碑的録音(1877年)から17年も遡る1860年4月9日に記録された女性の唄うフランス民謡『月の光』(原題:Au Clair de la Lune)だという。*3 

つまり、明治維新以前の日本語音声の機械的録音は存在しないわけだが、しかし、考えてみれば、機械的な録音は存在しなくとも、落語や詩吟や各種伝統芸能の伝承において口伝や声帯模写によって音声はある程度伝えられていたはずで、明治維新以前の語り口調の「ひびき」や「情感」は今もどこかで生き延びているのかもしれないなあ、と想像する。


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