先日、チェルノブイリ原発事故によって「消えた」村からの報告(「朝日新聞」、2009年4月18日〜24日まで6回連載)を取り上げた。
その後4月29日に、同じ取材者(ルポ:国末憲人、写真:小宮路勝)によるエピローグ的報告「朽ちる街 チェルノブイリ事故から23年」が掲載された。
これは、国末憲人と小宮路勝の両氏が、4月上旬にウクライナ非常事態調査団に同行して、原発直近の都市プリピャチを中心に、立ち入り制限区域を二日間歩いたときの衝撃的な記録である。文章からも写真からも彼等の高鳴る鼓動がガイガーカウンターの音のように聴こえてくるような生々しい記録である。
しかし、ゴーストタウンと化したプリピャチの荒廃の様子を伝える記事の基調をなす視線とトーンに微かなひっかかりを感じた。そのことについて書き留めておきたい。
国松、小宮の両氏は「朽ちる街」の姿を、まずはロングショットで、そして次にクロースアップでとらえる。
街は、予想以上に植物の侵蝕が進んでいた。街路樹が7、8階建てアパートより高く生い茂り、あたかも街全体がすっぽり覆われたようだ。
原発を訪れる要人の定宿だった中心部の旧ポリーシャ・ホテルの最上階8階からは住宅街と木々の向こうに原発が見える。絶景だ。ただ窓ガラスはほとんど破れ、部屋の真ん中にシラカバの木がにょっきり生えていた。わずかな床のすき間に根付いたようだ。草や木が建物の亀裂を広げ、崩壊の進行を物語っていた。
私には、むしろ植物たちが街の汚染を浄化し、その深い傷を癒し続けているように感じられた。さらに、植物たちは、原発や高層建築に象徴される人間の驕慢(きょうまん)を無言で罰する存在のようにさえ感じられた。
そんなことは、国末、小宮の両氏にとっては、いわずもがなの前提だったかもしれないが。