デカルト『方法序説』第三部をめぐって

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)


ルネ:人間ってさ、例えば牢獄の中でだって精神は限りなく自由でありうるなはずなんだよね。なのにどうして少なからぬ人々は、そんな自由を行使できずに、お互いに足を引っ張り合ったり、束縛し合おうとするんだろう。理解できないんだよな。精神の自由、思想の自由を確保するために、無い物ねだりの欲望を変革せよ。

I君:言いたいことは分かるけどさ、それだけじゃ、社会の悪を放置することになりかねないんじゃないの。欲望の変革と同時に、いやそれ以上に社会の変革こそが必要なんじゃないかと思うよ。

もう一人のI君:いやあ、社会の変革に走ろうとするのは危険だよ。基本はあくまで個人の欲望の変革だよ。ルネの考えは正しいと思う。社会の変革は個々人の欲望の変革の結果でしかありえないと思うよ。

三上:あのさ、鹿児島にとても興味深い村があってね、そこは人口二百人くらいの超過疎で当然高齢化が進んだ村なんだけど、国内はもちろん海外からも視察団が次々と訪れているほどなんだ。その村では一体何が起こっているかっていうと、村人全員が何歳になってもちゃんと村の仕事をしているんだよ。村長さんが珍しく自由な発想の持ち主でね、「人間生涯現役!」を村のモットーに掲げてさ、毎日村人全員を励まして歩いてるんだ。そのおかげで、村の人たち全員が驚くほど元気で幸福そうなんだ。佐野眞一『大往生の島』を連想したよ。村長さんが偉いよね。自由な精神の持ち主って感じだよね。清々しいでしょ。そういうリーダーがもっと大きな規模の自治体や国政レベルでも登場してほしいね。他方で、政治家が選挙前に目の前にぶら下げる人参にすぐに飛びつくような国民じゃ、やっぱりダメだよね。その意味では、二人の主張をつなげる線、すなわち、個人として欲望を変革した者の中からいかにして社会的リーダーが生まれるかという辺りがポイントになるんじゃないかな。ん? それは絶望的だ? そうかもね。