ヴェンダース夫妻の写真集『尾道への旅』

ヴェンダース夫妻の写真集『尾道への旅』、正確には2006年の写真展『Journey To Onomichi - Photos by Wim & Donata Wenders(尾道への旅 - ヴィム&ドナータ・ヴェンダースの写真)』の図録をいつも持ち歩いて暇さえあれば眺めている。非常に対照的な二人の写真を眺めるのが楽しい。ヴィムの写真もいいが、ドナータの写真もいい。ヴィム・ヴェンダースが最愛の映画であると公言する小津安二郎の『東京物語』(1953)では、海に面したある小さな町から老夫婦の物語がはじまり、そしてそこで物語は終わりを迎える。その町が尾道だった。この写真集に収録された「ヴェンダース夫妻からのメッセージ」のなかで、ヴィムはこう語る。

映画の冒頭、そして結末のイメージは、深く私の心に刻まれています。私はずっと、いつか尾道を訪れたいと思っていましたから…。ドナータは、そんな私のアイディアを気に入ってくれました。(5頁)

そうして、二人は2005年の秋に尾道への旅に出た。ヴィムは主に風景をカラーで撮り続け、ドナータは主に人をモノクロームで撮り続けた。

この写真集には藤原新也から写真展に寄せられたメッセージ「はじまりの予感と終わりの余韻」も収録されている。

ヴィム・ヴェンダースの写真は既成の写真の枠組みに収まらない不思議な空間を持つ。それは彼の写真の出発点が映画のシークェンスの一背景として選ばれたことに由来する。やがてそれが映画の従属物ではなく、一点の独立した写真となったとき、既成の写真のどこにもない視座が生まれたと言える。その空間が人間の息吹を配置すべく舞台装置として生まれたことによって、見る者の想像力を駆り立てずにはおかないのだ。それはたとえば小津安二郎の映画に見られる演技以前、演技以降の俳優のいない空ショットのように、はじまりの前の予感と終わりの後の余韻に満ちているのである。(10頁)

たしかに、ヴィムの写真にはそのような予感と余韻が満ちている。しかし、なぜ「はじまりの前」であり、「終わりの後」なのか。それは人生の現実は物語のはじまる前と終わった後にも続いているからであり、しかも常に新しい物語への予感や古い物語の余韻のなかにあるからだろう。ヴィム・ヴェンダースはそういうリアリティに鋭敏な人だと感じる。

他方、ヴィムのような映画的出発点を持たない写真家ドナータの人の撮り方がとても興味深い。

私は、自分なりの態度や気分のままにある自然体の人々を撮影します。仕事をしていたり、休んでいたり、そういう日常のサイクルにある人々を観察するのが大好きなんです。彼らが何を着ているか、ということは私にとって重要なことです。それが彼らの佇まいや動きを決定するのですから。写真を撮るときは大抵、被写体になる人々と長い時間を過ごすことにしています。ゆっくりと信頼を得るプロセスが必要だからですが、多くの場合それは「会話」のようなものになりますね。そして、そこで彼や彼女から何かを感じ取ったとき、シャッターを切ります。光の状態によりますが、少し離れた脇の方から。(5頁)

彼女はいわばダイレクトに、しかし限りなく繊細にその人の人生の中に入っていく。そして限りなく控えめにその人を記憶する。彼女の写真はまるで遠い記憶がぼんやりと蘇るときのような感覚を引き起こす。かなり魅力的だ。

この写真集は今でも、ショップ・アサヒコムで購入することができる。