奄美幻紀...

中山さんが、twitterに溺れかけた体験報告(http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20090616/p1)のなかで、私の3年前のあるエントリー(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20060918/1158599491)にトラックバックしてくれた。それは奄美へ行く直前に書いたものだった。その後実際に奄美に行って、未だにうまく言葉にできない体験をいくつか積んだ。そのこと自体普段はすっかり忘れているのだが、ふとしたことで思い出すことがある。抗ヒスタミン剤の副作用と風邪の症状が入り混じったすっきりしない頭と重たい体で、3年前に奄美で撮った/撮られた写真を眺めていたら、これ、これ、という記録が次々と出てきた。それらは、何と言ったらいいか、遅いコミュニケーションどころか、断絶も同然のディスコミュニケーションの見本のような記録だ。いくら話しても、体を触れ合っても、一緒に歌っても、踊っても、あの美しい奄美の女たちやシャイな男たちと私の間には、深い断絶が走っている。その場でも感じていたが、それは写真にも写っている。でも、それがイイのだ、と今では思えもする。そんなことは、わざわざ奄美にまで行って体験することじゃないんじゃないのと言われれば、それまでなのだが。いやはや。










あ、そうそう、twitterに関しては、私は登録だけしてまったく使っていない。その理由を書くのは面倒だが、*1 中山さんとの意見の違いだけに絞って書けば、twitterはとっても安全な玩具だと感じていていて、ブログの方が、実はより危険な人格上の実験場たりうるのではないかといまだに感じているから続けているのだろう。3年前と同一であるふりをしながら、実は3年前の三上は現在の三上ではない。「三上のブログ」には人格的同一性はない。ところで、昨夜というか今朝、夢の中で、私は新宿駅のある階段を降りて行った。すると踊り場に、カメラを構えたおっさんがいた。彼は白髪のまじった長髪を後ろで縛っていた。その顔を見て驚いた。中山さんじゃないか。そんな髪してこんなところで、一体何してるの、と二人で笑った。そこへ階段を上から降りてくる長いコートを着たおっさんがクロースアップされた。鼻の下に髭がある。しかし、顔は明らかにid:mmpoloさんだった。驚いた。髭なんか生やしちゃってどうしてこんなところに。と三人で笑った。自分はどう変わっていたのかは分からない。

*1:それはいわば微分的なコミュニケーションの非主体的な連鎖を誘うよくできた仕組みだと思う。言い換えれば、主体化、主題化する以前の短い言葉が圧倒的な量に到達して何らかの質に転化することをも期待させるひとつの実験のようなものだとも思う。しかし、それに参加する人格、「twitterをやる自分」は十分主体化、主題化してしまっているところが見え透いてつまらないと感じる。