絶対的な他者

琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書)

琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書)

目が見えないということは、たんに視知覚を欠くということではなく、むしろ目が見えることで<見失っている>世界と自己を回復するということではないか。そんな見失われた世界をありありと感じ、まざまざと<見ている>ということではないか。

兵藤裕己『琵琶法師−<異界>を語る人びと』を読みながらそう思った。と同時に盲目の琵琶法師山鹿良之(1901–1996)のイメージが、盲目のピアニスト辻井伸行(1988–)や盲目の写真家ユジャン・バフチャル(Evgen Bavcar, 1946–)のイメージと重なった。勝手な連想は、宮本常一の「土佐源氏」における語りやアレン・セイの聴覚異常から始まる幽体離脱体験などにも及んだ。

兵藤裕己の中世芸能史研究は、彼にとってまったく異質で異形な人間存在、「絶対的な他者」とまで表現される山鹿良之という稀代の琵琶法師との衝撃的な出会いに根本的に動機づけられている。山鹿良之の存在と演唱によって研究者としての主体を根底から揺るがされた兵藤裕己は、その衝撃と動揺の<意味>をなんとか理論化しようとして奮闘してきた。

『琵琶法師−<異界>を語る人びと』の序章には、その辺りの経緯が非常に分かりやすく述べられている。

 聴覚と皮膚感覚によって世界を体験する盲目のかれらは、自己の統一的イメージを視覚的に(つまり鏡にうつる像として)もたないという点で、自己の輪郭や主体のありようにおいて常人とは異なるだろう。それはシャーマニックな資質のもちぬしに、盲人が多いことの理由でもある。そして自己の輪郭を容易に変化させうるかれらは、前近代の社会にあっては、物語・語り物伝承の主要な担い手でもあった。

(中略)

 平安時代の貴族社会で行われた「つくり物語」(『源氏物語』以下のフィクションの物語をさす)はともかく、民間で語られた物語は、過去(むかし)の死者たちの語りである。モノ語りを語るとは、見えないモノのざわめきに声をあたえることであり、それは盲人のシャーマニックな職能と地つづきの行為である。そして声によって現前する世界のなかで、語り手がさまざまなペルソナ(役割としての人格・霊格)に転移していくのであれば、物語を語るという行為は、近代的な意味でのいわゆる「表現」などではありえない。
 むしろ「表現」(express = 搾りだす)の前提にある「自己」が拡散し、さまざまなペルソナに転移してゆく過程として、物語を語るという行為はある。語る行為が不可避的に要求する主体の転移と複数化は、民俗学ふうにいえば一種の憑依体験だが、視覚を介さずに世界とコンタクトする盲人は、物語の伝承とパフォーマンスにおいて非凡な能力を発揮したのである。
 12頁〜13頁

 私がはじめて山鹿良之を訪ねたのは、1982年である。山鹿のもとへはそれから十年あまりかよったが、お宅に泊めてもらった日数は、延べ日数にしたら百日以上になる。茶飲み話や酒飲み話できいた山鹿の思い出話はかず知れないが、しかしあらかじめ質問項目を用意して、それにたいする効率的な答えを期待しても、そんなコミュニケーションが予定調和的に進行したためしはまずなかった。
 コミュニケーションにおける<接触(コンタクト)>の焦点合わせは、ふつう視覚に依存して行われる。目が不自由であり、しかも圧倒的な物語芸人である山鹿のばあい、通常の対面コミュニケーションの図式がまるでなりたたなかった。
 昔の修業時代や、その後の琵琶弾き稼業に関する話をしてもらっても、どの思い出話も物語化されて語られた。物語中の人物に容易に転移してしまう山鹿は、その人物の声を一人称で語り、それと対話した昔の山鹿じしんも一人称の声で登場する。そんな語りの現場では、個々のペルソナを統括するはずの語り手の「我」という主語が不在であるとしかおもえなかった。
 自己同一的な発話主体をもたないモノ語りというのは、山鹿とのかぞえきれないディスコミュニケーションの経験からみちびかれた私の実感である。昔語りの登場人物につぎつぎに転移する(転移される)語りは、段物の語りの延長のように行われたが、そのときの体験が、物語(モノ語り)と、その語り手である琵琶法師についての私のイメージの原型になっている。
 山鹿良之は、1996年6月に他界した。九州に残存した琵琶弾きの座頭・盲僧のなかでも、その放浪芸的な活動実態といい、全貌を把握しがたいほどの段物の膨大な伝承量といい、山鹿はまさに日本最後の琵琶法師だった。芸能史を専攻する私にとっても、もっとも注目されるインフォーマントだったが、しかしそんな研究上の関心をはなれても、私をひきつけてやまなかったのは、山鹿の語りの声と、その琵琶演奏の芸である。
 琵琶の弾き語りのみを唯一の収入源とした山鹿は、常人の想像を絶する生活苦のなかで、三人の配偶者と死別し、一人は失踪し(四人の配偶者のうち、三人は、同業者仲間として知り合った盲目の三味線弾き、瞽女(ごぜ)である)、五人の子どもを亡くすという悲運にみまわれた。それらの昔語りは、例によってきわめて物語的に語られたが、まさに「虚実皮膜」ともいえる山鹿のライフ・ヒストリーと地つづきに、かれの伝承した「俊徳丸」「小栗判官」等々の物語は存在した。

(中略)

 だが、念のためにことわっておくと、盲目の芸人にたいする近代人のヒューマニスティックな思いいれや感傷などは、映画やCDから聞こえてくる山鹿の琵琶演奏と語りの声のまえで、手もなくはね返されてしまう。
 聞こえてくるのは、日常の言語活動にとってはノイズとしか思えないような声と四弦のざわめきである(琵琶法師の琵琶には、意図的にノイズをひびかせるためのサワリとよばれる独特の仕掛けがある)。
 山鹿の琵琶演奏と語りの芸について、私たちのことばでわかりやすく語ってしまうまえに、その存在の異質性、ないしは「異形」性が語られるべきだろう。それは、モノ語りとはなにか、語り手とはだれか、という問いにたいする答えともなるはずだが、理性的な意識主体としてモデル化される近代の「人間」にとって、その絶対的な他者ともいえる琵琶法師という存在をいかに考察の俎上にのせるかが、この本に課せられた課題である。

 15頁〜18頁


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