戯言

ブログは現実世界におけるコミュニケーションを促進するための道具にすぎないという考えがある。ブログはひとつのツールにすぎません、と。私はそういう意見を聞く度に、違和感を覚える。私にとっては、ブログは単なるひとつの道具ではなく、ひとつの別世界、別宇宙のように感じられているからである。

他方、匿名/実名をめぐる難しい議論があるが、私は実名も畢竟匿名にすぎないと考えている。なぜなら、そもそも実名(固有名)とは私が私であることを色んな手段で確認することができる情報の塊に対する究極のタグだからである。

私はブログを実名で公開している。匿名のelmikaminoでもよかったのだが、実名の三上勝生を公表している。しかし、ネット上での人格は現実世界の人格とイコールではない。それは端的に相手にする他人が違うからである。他人との関係の中で人格は決まる。関係する他人が違えば、その関係のなかで規定されてくる人格は変わる。

もちろん、普通はネット上の人格は現実世界の人格の一部として統合されがちではある。しかし、ほんとにそうか、と私は思っている。私の家族は私のブログ人格を知らない。私をブログを通じてしか知らない人たちは私の現実人格を知らない。もっとも、私は現実生活のかなりな部分をある意味では「曝け出して」いるので、現実世界から地続きのアイデンティティがブログ上でも認知されがちであることは十分承知している。しかし、ブログ上の私は現実世界の私ではない。

ブログに記録されつづける言葉を発しているのはあくまでブログの三上勝生であって、その意味では「三上のブログ」という名称は正しくないことは分かっている。現実世界の三上がたまたまブログをやっているのではなく、ブログをやっている誰かがたまたま「三上」であるというにすぎない。