サトウキビの葉のそよぎ:奄美自由大学体験記13

アマミから戻ってからの私のかなり内向的な姿勢を評して『横浜逍遥亭』の中山さんが、あるやりとりの中で、「常ならぬ神経のそよぎ」という言葉を使われていて驚いた。最近、なぜか「驚く」ことが多いのだが、その中でも一番と言っていいくらいに驚いた。というのも、「神経のそよぎ」という初めて見る言葉は、私のアマミ体験のおそらく核心にふれるものだから。

奄美大島ランドクルーザー一台、ミニバン四台でキャラバン中、(そのうちの一台を私は楽しんで運転した)、多くの場所で眼に写ったサトウキビ、黍の細長い葉のそよぎ、に私の中の何かが深く感応していたのだった。サトウキビは奄美大島にとって、良くも悪くも象徴的な植物、作物の筆頭であり、島尾敏雄さんもアマミに沈殿するサトウキビを巡る不条理極まりない歴史的現実について克明に記していた。しかしそれを読む以前に、現に奄美で何度も目にし、手にもふれたサトウキビの葉は、今まで感じたことのない胸騒ぎを私の中に引き起こしていた。

巡礼の途上で、コスモポリタンな論客Uさんとの数回の刺激的な会話の一つの中で、奄美大島に移住するなら、という現実味の薄い話題を私が取り上げたときにも、なぜか頭の中ではサトウキビの葉がそよいでいた。そして、私の想像を超える過酷な労働を必要とするサトウキビ農家をする覚悟がなければ、ここには住めないし、住んではいけないような、よく訳の分からない思いもその時頭に浮かんでいた。

ある意味で、私にとって一番怖かったのはサトウキビだった。ノロの墓を食うガジュマル、榕樹よりも。それは、サトウキビの葉のそよぎは、私の「根」のあり方をあざ笑う声のように聴こえていたからかもしれない。

中山さんが「神経のそよぎ」という言葉を送ってくれたときに、ハッと思った瞬間、私の中でサトウキビの葉がそよぎ始めた。本当に驚いた。