シナノキの木陰で想う


サフラン公園入口のシナノキの作る木陰がいつの間にかずいぶんと大きくなった。暑い日の散歩では、そこに辿りつくとホッと一息つく。風太郎はまっさきに水道に向かったものだった。最近はしばらく木陰に佇んでから、すぐ傍の東屋で腰を下ろし、人がいれば話しかけ、人がいなければ、シナノキをはじめとする木々が落とす影の形を眺めたり、雀たちの動きを目で追ったりする。


メメント・モリ

昨日はなぜか藤原新也の『メメント・モリ』(三五館)をコンビニの袋に入れて持ち歩いて、東屋で取り出して眺めていた。そしてその中の「つかみどころのない懈慢(けまん)な日々を送っている正常なひと」と「効力意識に目覚めている阿呆者」の対比を反芻していた。「懈慢」とは「怠惰」の意味。「効力」はかぎりなく「抗力」に近いと感じる。自分は懈慢意識に目覚めている阿呆者のような気がした。


88頁〜89頁

私が初めて手にした『メメント・モリ』は「21世紀エディション」と銘打たれた2008年の増補版だが、初版は1983年、藤原新也39歳のときの作である。『メメント・モリ』の写真と言葉には、生きること、生きていることが孕む矛盾や葛藤がときに激しく、ときに静かに曝け出されていた。表現というより表出に近い印象を受けるこの写文集を見、読むと、心が少しだけ軽くなるから不思議だ。