マサオ君の庭の思想

不遜にもマサオ君は朝の散歩でめぐる町内を自分の庭であるかのごとくに振る舞っている。その態度を快く思わない住人たちがいても彼はまったく気にかける様子もない。毎朝、それが自分が植えた草や樹であるかのごとく、あるいは自分が飼っている犬猫鳥虫、、、であるかのごとく、日々生長ないし変化する動植物たちに、よしよし、とか訳の分からない言葉をかけて、自分の体の一部になってしまったようなボロボロのコンパクトデジタルカメラCanon G7のシャッターをパチり、パチりと切り続けている。最近は一時間足らずでその音は優に1ミサキ(100回)を越える。異常である。目にとまるものたちはすべて自分の世界を構成する、というよりは、彼の思想によれば、彼と共棲する仲間たちらしいのだ。世界は、だから、そのような身近な存在たちと共生していることをいかに自覚するかによって、その自覚の深さによって、つまらない世界にもなり、素晴らしい世界にもなる。自分の生活圏内をおろそかにする輩に、夢だの理想だの学問だのアートだのビジネスだのエコだのと語る資格なんかない! と彼はことあるごとに私に説教するのであった。たんに、愛犬に先立たれ、自分ちに庭がないだけの話のような気もするのだが、、。私? それは秘密。