花の心


 

いつか長崎に行く時にはガイドブックにすることを心に決めている東松照明監修『長崎曼荼羅 東松照明の眼 1961〜』(長崎新聞新書、2005年、asin:4931493688)の中に特に強く心を惹かれ続けている二枚の写真(上、本書72頁〜73頁)がある。本書第二部「時の眼差し」に収められた六人の被爆者との対面の記録(文と写真)のうち末次助作さん(1899–1969)を訪ねたときの記録文「花の心」に添えられた一面極小の白い花が咲きこぼれる写真と憂いを含んだ眼差しが印象的な少女の写真である。前者の奥には隙間だらけの板の壁が写っている。キャプションには「末次助作さんの家 江平町 1961年」とある。後者には粗末な木の戸が半開きになっていて、戸のすぐそばに自然の林が迫っている様子が窺える。そして外からさす陽の光が少女の右頭部を照らしている。彼女はこれから外に出て行こうとして戸を開けたところなのか、外から帰ってきて戸を閉めるところなのか、家の中と家の外の境界線上にいて、心と眼も陽から陰へ、あるいは陰から陽へ移る、そんな瞬間を捉えた見事な写真だ。キャプションには「末次助作さんの娘 江平町 1961年」とある。文章のなかにも、その早春に咲く白い小さな花(ニリンソウと思われる)と当時中学二年の長女の話が出てくる。

 二度目にぼくが訪れたのは、早春の晴れた日の昼下がりだった。あばら家の周囲には一面に白い小さな花が咲きこぼれていた。万年床に横たわっていた病人がわずかに頭を動かしただけで、ほかに動くものとてなく、もの音一つ聞こえない静かなひとときであった。
 雨戸は閉められたままだった。だが、板が反りかえって隙間だらけの雨戸からは春の陽がこぼれ、部屋の中はけっこう明るかった。破れ畳のささくれが目立っていた。その破れ畳の上に置かれた牛乳の空き瓶に、白い野花が一本投げ入れられてあった。その花は、家のまわりをびっしりと埋めつくしていた小さな花であった。
 病人の話によると花を摘んできたのは娘で、便所にさえ立てない父親を慰めるためだという。ぼくは、少女の心根のやさしさにうたれた。花の名はわからないけど、部屋の片隅で、こぼれ陽を背にうけて、小さな花弁が息づいている光景を、ぼくはいまでも忘れることができない。(70頁〜71頁)

少女が牛乳の空き瓶に投げ入れた一本の白い野の花が、身動きもままならぬ父親のもとに家の周囲一面に咲きこぼれる白い小さな花の景色と少女の心の景色を運ぶ。

当時末次家は、六畳一間に家族四人が、人目を避けるように暮らしていたという。1945年8月9日被爆してからの一家の生活は東松によれば「人間としての尊厳」を保つぎりぎりのものだったという。