祈りの旅、心の家:小野寺誠『ユーラシア漂泊』



ユーラシア漂泊

ユーラシア漂泊


1939年生まれの「バックパッカー小野寺誠の68歳の旅の記録が面白かった。

……外国の翻訳物では、J・ケルアックの『路上』、A・ギンズバーグの詩集『吠える』、W・バロウズの『裸のランチ』などがわたしたち若者の聖典だった。その先には、十九世紀の天才詩人アルチュール・ランボーボードレールがいた。
 バックパッカーは、貧困と差別の社会、戦争と難民の時代を背景にして生まれたのである。あの海や山の向こうに、夢と希望をかなえてくれる楽園があるかもしれないと願う若者たちが、その夢をリュックサックに詰めて歩きだしたのである。わたしたちの頃まではビート族とよばれ、その後ヒッピーといわれた。ビートは個人の旅を好んだが、ヒッピーは集団を成した。わたしの旅のスタイルは、あきらかにビート的だ。

(中略)

 ネフスキー寺院、聖ネデリャ寺院、聖ニコライ寺院、聖ソフィア寺院、入場料無料の見どころはとりあえず入ってみる。信仰心があるわけではない。協会内部の静けさが好きだ。……
 イコン画がたくさんある。……これらの絵には、画家の署名がない。信者の信仰が絵になるのである。描くことが、祈りだ。わたしの旅も、何かへの祈りかもしれないとふと思う。
 旅が困難であればあるほど、この身が浄められるような気分になることがある。じぶんの生きてきた足跡があまりにもろくでもないので、肉体的な辛さを罪ほろぼしのように感じるのかもしれない。身勝手な自由と解放の感覚。それも悪くない。しかし神をもたないわたしの場合、祈りの旅の先に見えてくるのは死しかない。そしてだれとも分からない無記名の墓標の男の死も、けっして悪いものじゃない。

 意味のないものには
 意味がある

(中略)

 心に家をもたない男には、出かけることも帰宅することもできない。……帰るところがなければ、旅という言葉もない。
 そしてわたしは帰ってきた。
 どこへ?
 終着点は、出発点だった。