ニコラ・ド・スタール


藤原新也『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』(asin:4487804183)の最終話「夏のかたみ」に、ニコラ・ド・スタール(Nicolas de Staël , 1914–1955)が出てくる。藤原が東京芸大油絵科の学生だった頃に世話になった壁紙の図案のアルバイト先の西部ポリマー株式会社の企画室長だった五十嵐譲治が好きな画家だった。

 意外なことに、彼は絵をやっている者でもあまり知らないニコラ・ド・スタールのような画家のこともよく知っていた。ド・スタールといえば、たとえば水平線の見える冷たい色の単純な海の色面に、ひと筆描きのような一本の防波堤が突き出ているだけといった、具象とも抽象ともつかない絵を描いた画家だ。ド・スタールの描く絵は明るく澄みわっていたが、いつもその明るさの背後にはしめつけられるような寂寥感が漂っていた。そしてそれらの絵が予告していたかのように、彼は若くして自らの命を絶つ。

 ド・スタールのような壁紙があってもいいと思うんです。ひとつ描いてみてくれませんか。
 それが五十嵐と仕事上で交わした最後の言葉だった。
 寂しすぎますよ、と私は答えた。
 いや、寂しい人は寂しい絵を見て、そこに自分の心を見て癒されるのです。寂しい人が自分の心を隠すために、にぎやかな絵を飾ったりするのはだめですよ。逆に寂しくなるばっかりですから。
 そうかも知れないなと思った(216頁〜217頁)



七年後、藤原は五十嵐がロッキー山脈の麓である女性と心中したことを知る。その後、藤原が書いた実名を伏せた五十嵐の追悼文が新聞に掲載された。それを読んだある女性、実は五十嵐の未亡人からの電話で、五十嵐はアメリカのサンディエゴにあるメモリアル・ガーデンに埋葬されたと聞かされる。「夏のかたみ」の扉に、ニコラ・ド・スタールの絵を彷彿とさせる、まるでこの世の果てのように荒れ果てた感のする墓地の写真が掲載されている。その一番手前に写る墓、墓と言っても白塗りの祖末な木の十字架が立てられ、その辺に転がっていた石ころを並べて周囲から区切られただけの場所である。しかしそこに、これでもかというくらいに各種の色とりどりの花がただ供えられているというのではなく、その区切られた土地に植えられているのである。その墓のことについては「夏のかたみ」の中では一切触れられていないが、その写真は雄弁に物語っていた。藤原はサンディエゴのメモリアル・ガーデンを訪れ、「寂しすぎますよ」と呟きながら、石を拾い集めて並べ、それらの花を供えたのだということを。



ちなみに、私はニコラ・ド・スタールの絵の中ではこの「ボート」と題した絵が好きだ。イヴ・クラインのブルーに触発されたデレク・ジャーマンの遺作『ブルー』を連想する。


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