無音、語られえない重さ

下から上に


北の方にカタクリ群生見物に出かけた女房が、マガンの渡りの中継地として有名な美唄市宮島沼のネイチャーセンター(宮島沼水鳥・湿地センター)に立ち寄った時に目に留めた日本野鳥の会が発行している無料写真冊子「トリーノ」のバックナンバーを土産に持って帰ってきてくれた。昨年夏に道東で手に入れた2009年夏号と合わせてちょうど四季が揃った格好になった。表紙を飾る日本画家の故加山又造と石踊達哉の四季それぞれに見合った絵が目を楽しませてくれるだけでなく、毎号見開き縁なしで掲載される藤原新也をはじめとする写真家の写真が非常に魅力的である。


その中で、2009年秋号に掲載された藤原新也広島市街の写真と「無音の空」と題した文章が特に印象的だった。昨年暮れに私も生まれて初めて広島を訪れ、目の前の現実の風景に、写真や文章による記録を通して知った六十数年前の風景が重なって見えてしまうという経験をしたからかもしれない。




その文章の中で、藤原新也は自著『なにも願わない手を合わせる』に収められた「無音」と題したエッセイが縁となって出かけた広島の、市内を見下ろす高台の公園から市内を遠望していた時に突如凍りつくような白昼夢に襲われた経験について次のように書いている。

 目の前を鳥の群れが飛び立ち、西の方に向かった。私はその鳥の群れを目で追いながら一瞬、目が凍りつく。
 眼があらぬ想像を巡らし、まるで夢でも見るかのように地上に落下しはじめたのだ。私はこの平和な広島のどこかで無意識のうちに原爆を探していたのだ。

 一瞬の眼の夢から覚めて、思う。
 ああやってその瞬間、隠れる陰もない空飛ぶ鳥たちは数千度の熱線を浴び、真っ黒に焼け焦げ、地上に落下したのだろうな。
 人口密度に比する鳥密度というものがあるのかどうかは知らない。だが六十数年前の広島の空は今よりずっと鳥密度の高い空だったに違いない。それが一瞬にして消え、地上のみならず、その空にも無音の世界が訪れたのだ。
 私は平和この上ない、広島の空を見ながら一瞬、身震いしていた。


このような「無音の世界」のリアリティに触れる経験の導火線になったのが、「無音」と題したエッセイで引用された、藤原新也が二十代のころラジオで聞いた、ある記録カメラマンの言葉だった。



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 スズムシ鳴く。
 満月の下で虫の声に耳を傾けながら、ふと長崎に原爆が落とされた直後、最初に現地に入った記録カメラマンのあの話を思い出す。

  「まったく音のない世界なんですね。
  耳元をそよぐ風の音以外は」

 この巨万の命を奪った殺戮装置のなんたるかを一言で言い表した言葉を他に知らない。
 二十代のころ、ラジオで聞いたこの一言は言葉のトラウマのように私の記憶に沈潜し、ときおり何かのはずみで浮上する。昨晩もそうだった。言葉の力というものは恐ろしいものだ。

(中略)

 さて、思うに、世界のいずこを巡ろうと、あの記録カメラマンの発した言葉を再現する地上はこの世界にはないのである。
 人間や猫や犬や牛や、そして虫やバクテリアにいたるまで、すべての生物が死に絶えた世界。
 それが爆心地というものなのだ。


 藤原新也『なにも願わない手を合わせる』218頁〜219頁


風景の死とも言える、真正のグラウンド・ゼロである広島と長崎の原爆投下直後の爆心地の「無音の世界」の本当の恐ろしさは、「無音」という一語で表された死の世界の真相が正にそれ以外には語られえないことの圧倒的な重さにあるように感じた。


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