森崎和江は自分が「流れ者の系譜」につながることを次のように「流れ者の言葉」でしみじみと語った。
けれどもこの世はたいそうひろくて、それは蛍の道のようだ。
わたしを呼ぶ声がしきりにする。まるで蝶の季節に、うすい羽根がくさむらでうごめくように、わたしのなにかがこたえてしまう。そして、わたしはぼんやりしながら考える。精神の系譜のごときものを。
ひとところに根づけぬもの。心あこがれて旅立つもの。流転によってみのるもの。それら流れ者の文明をしっかと握った者たちが、この世には脈々と生きていたのではあるまいか。わたしたちのふるさとは、永久不変の土着性にとどまらず、あたかも風の変化(へんげ)のごとく、住みなれた境地からまだ身に染まぬ荒れ地へと、冒険してしまう精神たちのなかにもひろがっているのではあるまいか。
そしてわたしは、どうやらその流れ者の系譜につながるらしい。芭蕉とひとつ屋根に寝たうかれ女(め)のように、どことも知れず歩きながら、この人の世に涙をそそぎたがる。いま生まれくるもの、いま死にゆくもの、いま争うものへと、心に色香が立ちまよう。とび立てば、空は、やみというのに。森崎和江「ふたたび旅へ」(『精神史の旅 4漂泊』175頁〜176頁、asin:4894346737)
流れ者、はぐれ者の「ふるさと」は、精神の原風景としての「荒野」なのだろう。
人生の神髄は「漂泊」にあると信じていた「流れ者」ニコラ・ブーヴィエは、帰るつもりのない旅の極限の疲労を通じて「精神」を追放した頭蓋骨にありのままの世界、つまり「荒野」がなだれ込んでくる瞬間、そうやって訪れる「至高の時」にこそ、実存すなわち「人がこの世にあること」の真の意義が明らかになると要約できる内容のことを語った。
エルゼルムより東の道はまったくひと気がなかった。村と村とはとてもつもない距離で隔てられている。何らかの理由で車を止め、明け方まで外で過ごすこともある。フェルト地のぶ厚い上着にくるまり、毛皮の帽子を耳まですっぽりかぶり、タイヤの陰に置いたプリムスのガスバーナーの上で沸いている水の音に聞き入る。丘を背にして星を見つめ、コーカサス地方のほうへ心なしか移動しているような大地を、燐光を放つ狐たちの眼を見つめる。熱々のお茶をすすり、ぽつりぽつりと話を交わし、煙草を吸っているうちに時は流れ、やがて朝日が昇り、あたり一面に光が広がると、鶉(うずら)と雉がそこにまぎれ……そして、溺死体のように浮上するこの至高の時をあわてて記憶の底に沈めにかかる。それはまたいずれあらためて記憶のなかに探しに行けばいいのだ。伸びをして、一キロは身軽になった身体で何歩か歩くと、「幸福」という言葉が、この身に起こったことを言い表すにはじつに貧弱で、個人的なものに思えてくる。
結局、人がこの世にあること(エグジスタンス)の骨格をなしているのは、家族でも職業人生でもなく、他人にあれこれ言われたり思われたりすることでもなく、愛の浮揚感よりも、そしてわれわれの虚弱な心に合わせて、人生がちびちびと分配する浮揚感などよりはるかに晴朗な浮揚によって掻きたてられるこの種の瞬間なのだ。高橋啓訳「アナトリアへの道」(『ブーヴィエの世界』69頁、asin:462207298X)
漂泊の人生は二拍子からなっている。関わり合うこと、そして身を引くことだ。旅をしているあいだじゅう、この二つがついて回る。友達ができたと思ったとたんに別れなければならないが、と同時にこの地球を巡り歩けるチャンスを享受しているわけだ。この友情が長続きすべきものなら、長続きするだろう、それは神のみぞ知ると心に思いつつね。ほとんどの場合、長続きしないんだがね。
ただ旅先ではじつに多くの人に助けられたよ。こういう悪路を歩いていると、まるでホメロスの描くギリシアにいるように思えた。ゆっくりと時間をかけて歩き、人と出会いを繰り返し、ふとつぶやく。おや、すばらしいキタラ弾きがいるぞ、このあたりで評判のバグパイプ奏者もいるぞってね。もしいなければ、一週間逗留して現れるのを待つんだ。それを聴けば、その地方が与えてくれるほぼ最良のものを得たことになるし、さらに先に行けば、その土地の人が語るべきこと、聞かせるべき音楽がまた出てくる。つまり、旅人もまた養育の役割を担っているわけだ。行く先々で旅人は質問攻めにあうし、一人で旅をしているときは、こちらも次から次へと質問を繰り出したものだよ。手ぶらで相手のところに行くわけじゃない。こっちも自分の割前を持っていくんだ。(中略)
私は疲労というものを非常に信頼しているから、今の自分の肉体を恨めしいと思うのは、とことん疲れ果てることができなくなっていることなんだ。えんえんと歩きとおしたあげくに生ずる完璧な消耗にまでいたることができない。今では肉体的限界の幅が狭められてしまったから、とぼとぼと歩くだけになってしまった。
歩行もまた認識と啓示のプロセスなんだよ。ひとつにはそのリズムのせいもあるが、足を運び方、どこに足を置くか、呼吸をどのように按配するか、そういうことに全精神を集中しなければならないからね。ときには、ひたすら歩きつづけて、目的地にはまだ達していないが、目的地が見えるところまできて、ようやくそこにたどり着けるとわかったとき、ちっぽけな頭蓋骨のなかに世界がなだれこ込んでくるような感覚が生じることもある。それはじつに幻想的な体験で、言葉ではとうてい説明することができない。
書くことについていえば、適切な文章を書くには血を流すほかないし、人間には4.5リットルの血液しかない。だから、大きな仕事であれ小さな仕事であれ、ひとつの作品を書き終えたときには、これが最後ではないという自信が持てない。唯一の武器がつまるところ自分の力不足でしかないような、こんな絶望的なロッククライミングにまた挑むなんて、およそ不可能なことに思えてくる。
でも、手が擦り切れるほど本気になってロープを引いたときに初めて、極限の疲労を通じて、思い描いていた事物が文字どおり忽然と姿を現す。事物がその固有の色彩をともなって浸透してくるんだ。そこで全速力で書き抜く。するとひとつひとつの言葉が適切であることがわかる。でも、それは与えられたものなんだ。こういう世界の把握が膨大な労力を代償にして得られるのは、そこに事物の本質があるからだ。ときにはあらかじめこんな苦行をしなくても満たされる至福の瞬間が訪れることもあるが、そんなことはめったにない。(中略)
たしかに帰るつもりのない旅に出ているときには、本を書くことの重みや机の前で仕事をするときの重みは存在していなかった。だからもちろん、ノスタルジーはあったよ、広大な場所にたいするね。当時は自分を超えた仕事と格闘していると感じていたし、いつまでたっても超えられないだろうとも感じていた。というのは、何をするにせよ、世界の創出という途方もない相手に、最終的には自分の無能力さと愚かさだけて立ち向かおうというのだから。極端な幸福、極端な危険、極端な不幸のときを描写するのがあれほど困難なのは、まさに言語がある地点で停止してしまい、自分のほうはそれより少し先まで行こうとしているからなんだ。「筆舌につくしがたい」とか「えもいわれぬ」というような決まり文句がよく使われるけれど、そこまで行くと、文章はもうついてこない。音楽だと、この税関をこっそり通り抜けることもあるが、最後までは到達しないし、そうでなければ天空はまた陰ってしまうだろう。われわれが生き延びられるのはわれわれの不完全さのおかげだと考えるとけっこう楽しいものだよ。
自分ではどの程度、どんな状態で抜け出しているのかわらかないが、それは血を流しているときだ。そこを抜け出すと、人は溺死をまぬがれた男のように唖然としつつも、満足げにこう思うだろう。古いスプーンのようにありとあらゆる人の口の中で転がされてきた言葉を使って、新鮮な、ときには残酷なものを少しは伝えられたのかもしれないってね。
私は語るに値すると思える話だけを選んで語ろうとしたのであって、数えきれないほどたくさんある旅のエピソードについては何も書かなかった。そういうのは現場で燃え尽きたんだよ。ただ、その燃えかすというか、燃焼による生成物こそ、文章に変換しなければならないものなんだ。そういうものは語られたがっているから、読者に伝わるんだ。
私が様々な人物を、様々な顔を、様々な瞬間を言葉に置き換えようとするのは、それを分かち合いたいと思っているからだ。そういうものをかなり遠くまで探しにいくが、それが見つからなければ、私は書かない。高橋啓訳「ニコラ・ブーヴィエ、ロングインタビュー『世界の使い方』をめぐって」(『Coyote No.22』44頁〜52頁、asin:488418209X)