記憶を司る女たち

一方的に語られるばかりで、自ら語る言葉を持たなかった存在が既存の言葉をやりくりして語り始めた時、それまで語ることを独占してきた者は、足元を揺さぶられる。

武人たちの観点からすると、当時は一人の男が複数の妻を持っていたとなるが、記憶を司る女たちの見解では女たち数人が一人の男を共有していたとなる。


 アン・キャメロン「死者のための歌」より、『銅色の女の娘たち』11頁





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『ソングライン』の一読者がブルース・チャトウィンに複写して送ってくれたというアン・キャメロンの『銅色の女の娘たち』の一部、チャトウィンが「奇蹟のような宝物」と称した「年老いたヌートカ族の女性が、祖先のカヌーによる航海法を語っているくだり」は、本書の第13章「魔法の潮流クリン・オットー」に含まれている。それは海の民ヌートカ人の創世かつ「創生」神話の一部である。精神が自然と切り結ぶ最も根源的な関係に基づいた驚くほど豊かな世界が美しく物語られている。森崎和江さんが炭鉱労働精神史で光をあてた厳しい禁忌によってかろうじて維持される壊れやすい世界にも通じると感じた。ちなみに、作者のアン・キャメロンの父は炭坑夫だった。この訳書は望月佳重子さんの訳によって1991年に學藝書林から出た。原書 Daughters of Copper Womanasin:155017245X) は1981年に出版された。

 祖母が歌いはじめた。それは、エンジン付きの漁船が出現する以前の、はるかに古い時代の歌。羅針盤も印刷された海図もなかった頃の歌。見知らぬ男どもが霧の中から現れて、ものごとが変わりはじめたその時よりも、はるか昔の歌。
 私たちは聞き入った。ヌートカ語がわかる人たちは、場所の名前がいくつか歌いだされているのに気づいた。でもそんな名前は、以前に見たこともなければ、人が語るのを聞いたことさえもなかった。歌は、湾や入江のありさまを描き、岬や星座、川や岸辺、フィヨルドや山かげの小湾など、さまざまな名を告げた。
 もうみんなが、しんと静まって座っていた。暑い夏の日だというのに、私の手足には鳥肌が立った。やがて祖母は歌うのを止め、語りはじめた。声は海の水のようにさざなみ立ち、眼はだれも見ることのできない何かに釘づけされたままだった。
 「昔、このあたりには、超自然の力を持った美しい肌の人々がいた。その人々は空中を遊泳することができた。魂を解き放ち、悟りの喜びに至る儀式を、私たちに教えた女たちだった」
 祖母は、ここまでをヌートカ語で語った。しかし、ほほ笑みながら一同を見わたして、その言語が分からない若者がいく人かいたのに気づくと、英語に切りかえた。ヌートカ語が持つ、小波がさざめくような音が、祖母の声から消え失せた。
 「銅色の女が一人ぼっちで暮らしていると、魔法の人々が空から浜に降り立った。太陽が海にしるす踏み道を越え、だれも見たことのない小舟に乗って。魔法の姉妹は舟から降りたが、地面に足が着くことがない。ふわりふわりとヤナギランの綿毛のように漂って、銅色の女が立っている所に来た。彼女は、ただただ目を見張り、恐怖におののいていたが、やがて魔法の人々は、そっと優しく地面に立った」
 「銅色の女はその時まで、あまりに孤独であったから、また孤独があまりにも長く続いたから、孤独でない時というものがどんなものか、すっかり忘れはてていた。だがそれ以前の知を思い出し、内心の強さを保っていた」
 「降りて来た魔法の女たちに、岩と丸木とで建てた家を、銅色の女は見せた。家は真水の小川の近くにあり、魚たちが産卵のために流れの淀にやってきた。銅色の女は、魔法の人々のため食事を作ったが、彼女たちがなぜ自分の言語を知っているのか、けげんにさえ思わなかった」
 「魔法の姉妹は銅色の女の家に滞在し、共に食し、共に漁(すなど)り、泳ぎ、踊った。生きるのに知るべきいろいろな事を教えた」
 祖母は物語を中断すると、また歌いはじめた。その歌を私は以前、耳にしたことがあったのだけれど、言葉の意味をどうみんなに通訳したらいいのか、わからなかった。
 「銅色の女は魔法の人々に話した。この浜では、星々が昔のと異なる模様を描くので、星を頼りにふるさとに戻ることなど考えることすらできない、と。すると魔法の女たちは一つの歌を彼女に教え、この浜こそが、今は彼女のふるさとにはかならないと告げた。もう二度と迷い子になることもないと告げた。それから、生木で作った小舟に共に乗り、彼女に魔法を伝授した。クリン・オットーの秘密も教えた」
「クリン・オットーは大海の中の河、潮の流れ。カリフォルニアの一つの湾の特別な場所を出発点に、アリューシャン列島の一つの特別な島へと、決まった経路を流れ行く。クリン・オットーは、また、女の川。速さも不変、方向の一定、常に永遠に流れ続ける。人間の女の生涯は八十年。銅色の女がクリン・オットーを知ってから、187回と二分の一回、人間の生涯が繰り返された。銅色の女はクリン・オットーを知った時、すでに成人していたから、大老女となって生きている今日、まだ彼女は一万五千歳にも満たない若い女だ」
 祖母は再び少し歌を歌い、私たちは耳をすませた。赤ん坊は人さし指をくわえて眠っている。おっちょこちょいのツノメドリたちが、船をよけようとして、道化そのままに水の上を転がり回っている。
 「潮の流れ方についての、また海流の動き方についてのありとあらゆる知識が、歌の歌詞に織り込まれた。この歌のおかげで何千年という間、私らは行きたい所にはどこにでも行き、あっぱれ、無事に港に戻った」
 「晴れた夜は、星々を水先案内に頼み、霧の日は、海流とその支流とを目安にした。これら大小の海の河が合流してクリン・オットーになるのだ」
「航海で舵取る女は、船の舳先にすっくと立ち、木彫りの船首を杖でたたき、歌の拍子を刻んだ。ただちに漕ぎ手は拍子に合わせ、船の右側の櫂を漕ぐ、次に左の側を漕ぐ。櫂が次の拍子を待ち、ふと中空で揃って止まる------次の瞬間、右側の水をうがつ。漕ぎ手全員が力を合わせ、舵手の女は歌い続ける」
「船の位置を知ろうと思えば、彼女はいつでも割り出せる。星の見えない霧の日でも、雨降りの日でも。それには、特別なやり方で腱を撚り合わせた強い綱が一本、必要なだけだ。綱には一定の間隔で結び目がついている。その綱を、大きさの決まったアザラシの浮嚢につなぐ。漕ぎ手たちが休息すると、船は潮の流れる速さで進む------舵取る女は歌を続け、歌詞が特定の行まで進むのを待つ。その行まで来た時に、綱に結んだ浮嚢を放り、綱につけた結び目が、いくつ、指の間を通るかを数える。こうして潮の流れる速度を知るのだ」
 「彼女は潮の速さを知った。漕ぎ手が保ってきた速さを読んだ。これらを歌の行にあてはめて、たちどころに船の位置を知る」
 「歌は、行く先ごとにそれぞれ違った。中国へ水先案内する歌があり、日本へ行くための歌もあった。中国という大きい島への歌一つ。日本という小さい島への歌一つ。舵手の女に必要なのは、それぞれに案内する海の歌だけ。歌で航路はすっかり知れた。ふるさとの港に戻るのには、歌を逆から歌えばよかった」
 「歌の歌詞、聖なる儀式の祈りの文句、詠唱の言葉の意味するところ------これら日常の詩を憶えさえすれば、舵手の女はどこにでも行けた。また詩の中のいくつかは、食糧のための鯨を見つけ、港に連れ帰る役にも立った」
 「しかし女たちはだれ一人、鯨を取る役はしなかった。鯨は魚たちと違って卵を産まず、幼な児を出産する。人間の女のように乳房から赤ん坊に乳を飲ませる。それゆえ私ら女たちは何としても鯨を殺す役をしなかった。一方、捕鯨にでかけた男たちは、初めて鯨を殺したその日から、捕鯨の仕事を引退するその日まで、鯨の肉をひと切れたりとも食さなかった」
 「捕鯨にでかけた男の妻も、鯨の肉を食さなかった。なぜなら夫は、殺す相手である鯨に聖らかにつながれていなければならず、そのきずなが彼の妻であったから。妻は女の血と肉によって、夫と鯨の仲を結んだ。これは、銅色の女が魔法の姉妹たちを介して、鯨に立てた誓いであった。鯨たちにつながる人間はだれ一人、決してその肉を食さない------これが聖なる誓いであった」
 「さらに、捕鯨にたずさわる夫と妻は特別な人々だった。ふつうの男と女より、はるかに深い血と肉のきずなで結ばれた人々で、そのきずなは同時に魂と霊のきずなでもあった。もしもこのきずなを、すなわち互いの信を裏切るならば、鯨たちは来なくなった。人々は長らく鯨なしに耐えしのぎ、捕鯨をする者は身を聖めた。もし精進潔斎しなかったなら、あるいはできなかったなら、すべてのきずなは断ち切られ、男は捕鯨の仕事を降りた」
 「捕鯨にでかける前のひととき、夫と妻は互いに男女として触れ合わず、決まりの祈りを正しく捧げ、決まりのものを食した。こうすることによって魂の力を貯えた」
 「それから聖なる真水の泉に行き、歌い、踊り、沐浴した。栂(つが)の小枝と毛皮とで体をぬぐい、血行を良くするため体を打った。そして再び祈るのだった」
 「女は身の内に力の高まりを感じると、全速力で汐留の堰まで走りゆき、端座して海水に首までつかり、海をみつめて祈るのだった」
 「男は浜辺にとどまり、祈り、魂の力の限りを女に向け、援助を乞う。すると女は、自分自身のある部分を、はるか彼方の鯨に送る。こうして血と乳ゆえのきずなが、女を仲立ちに、鯨と男との間に結ばれる」
 「女と男は村に戻り、男は捕鯨の旅に出る。彼の留守中、彼女は寝床に横たわり、そこを離れず、ものも食べない。もし彼が捕鯨のさなかに殺されたら、それを最初に知るのは彼女だ。そして時おり、彼女さえも死ぬ。必ずというわけではなく、時おりだが」
 祖母が片足の先で拍子を刻むのを止めると、足全体の動きが止まった。祖母は私たちを見上げて、ほほ笑んで言った。
 「もうそろそろ島に着く」
 ビッグ・ビルが祖母にたずねた。
 「銅色の女が歌った歌、全部ごそんじなんですか?」
 祖母は悲しげに首を振った。
 「病気が歌を殺してしまった。あまりにも多くの人間が病気で死んでしまった。歌も、物語も、海の路も、歴史も、病で死んだ。私が知っているのは、ごくわずか残った歌だけだ」
 でも祖母は、すぐさま、にんまり笑うと、ピクニック用のバスケットに手をのばしながら、こう言った。
 「とはいえ私はいつだって、歌の力でこの島ぐらいは見つけられる」


  「魔法のクリン・オットー」より、『銅色の女の娘たち』135頁〜142頁


アン・キャメロンに関する1991年時点での情報。

 アン・キャメロンは、1938年、ブリティッシュ・コロンビアバンクーバー島ナナイモに生まれた。この地域のカナダ先住民の一民族ヌートカ人の血に、中国人とイギリス人の血が混じる。アン・キャメロンという姓名は、ヌートカ語ではなく英語であるが、彼女は自分をヌートカ人とアイデンティファイしている。
 ごく小さい頃から読書が好きで、読む本がなくなると、物語を書いたという。炭坑夫であった父は「トイレットペーパーひと巻きとちびた鉛筆さえ与えておいたら」子守りが要らない幼児だった、と娘を語っている。一族の老女たちは、幼いアンにさまざまな物語を話して聞かせたという------先住民の昔話は言うに及ばず、中国の、スコットランドの、ウェールズの、アングロ・サクソンの伝説までも。
 長じて、アン・キャメロンは、家庭科という科目を履修することを拒んで、高校を中退した。その後、精神医療の看護人、病院勤務、新聞『インディアン・ボイス』記者などを経て、1971年「ブリティッシュ・コロンビア建州百年記念脚本コンペティション」で優勝し、作家生活に入った。
 やがて劇団「ティリカム劇場」を結成。俳優に、先住民の若者たちと犯罪歴のある若者たちを起用した。犯罪者のラベルをはられた若者たちは、みな、家族や社会制度との軋轢に苦しんだ末の政治犯だというのが、アン・キャロルの持論である。怒りを表現する道筋を、この場合は演劇で得た若者たちは、再犯に無縁であるという。
 六人の子供がいて、うち三人は養子である。子供たちは、警察とよくもめごとを起こすのだそうだ。その警察とは、熱血フェミニストの母親キャメロンが「家父長制が軍隊を組織してのし歩いている」とおおっぴらに批判する、王立カナダ騎馬警察隊(RCMF)のことである。どうやら波乱の多い暮らしぶりのようだが、同時に彼女は、ナナイモ地域の指導的存在として、人々から慕われているという。現在は、パウエル・リバーの「ファニー・ファーム」という共同体に住んでいる。


  「訳者あとがき」より、『銅色の女の娘たち』241頁〜242頁


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