記憶の彼方へ17:馬場先生


昭和39年(1964)。室蘭市立高平小学校1年1組。二列目の向かって左端に立つのが馬場先生。私は最後列の左から五番目。



高平小学校の校庭。2010年6月28日撮影。


先日私が通った小学校を訪ねた時に、なんと初めて逆上がりを覚えた鉄棒が四十年以上前とまったく同じ姿でそこにあるのを見て驚いた。しばらく眺めていた。六つの高さの鉄棒が並んでいることにそのとき初めて気づいた。六学年で六つの高さか、、。他の小学校ではどうなのだろうか。それぞれの高さで覚えたワザの体感が蘇った。級友たちと競って前回りや後回りや蹴上がりを覚えた。そのうち大車輪までなんとかできるようになったのが自慢だった。握力がみるみる付いた。教室では窓の外をぼんやり眺めて、今日の放課後は校庭で何をして遊ぼうかと想像してばかりいた。授業や先生の記憶があまりない。ただ、馬場先生のことだけはよく覚えている。小学一年生のときの担任だった。アコーディオンをよく弾いて聴かせてくれた。アコーディオンを弾く姿ともの静かで懐の深い印象が心慰められる音楽のように今でも残っている。大人になって何かの折りに馬場先生のことを思い出すたびに、宮澤賢治のイメージと重なった。だが、総じて教室の授業は堪え忍ぶべき現在で、校庭で遊ぶことがいつもワクワクするような未来だった。鉄棒はその象徴だった。小学五年生の時だった。父の転勤が決まり、私は転校を迫られたが、頑に拒否した。後で知ったことだが、困り果てた父はすでに私の担任ではない馬場先生に相談し、そして馬場先生が私を説得したらしい。馬場先生は何をどう語ったのかまったく記憶にないが、結局、私は説得され転校した。家族と一緒に行くことが何より大切なことだ。馬場先生はそう言ったのかもしれないと今にして思う。だが、当時の私は友達との別れが辛くて根こそぎにされたような気持ちだったのを覚えている。その後馬場先生にはお会いしていない。


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