苅谷さんの畑に思う




苅谷さん夫妻に会う。苅谷さんはスコップと鋸を手にしていた。ちょうど畑仕事を終えたところだった。夏には三つ目のペースメーカーを植え込む手術を控えている苅谷さんだが、調子は悪くない、と言う。なぜか苅谷さんの畑を見るのが好きだ。あまり人間臭くないからだろうか。最小限の手しか加えず、後は自然任せという苅谷さん流儀の風情がいい感じで漂っているからだろうか。アリや鴉やキタキツネの「被害」にあっても、なるようにしかならん、あっはっは、と笑い飛ばす突き抜けた精神が畑の様子にも反映しているからだろうか。よく分からない。今年もほっこりと耕された。それを見ると、少しくらい寒くても、春だなあ、とあったかい気持ちになる。

 近代の器用な科学や芸術は、狩猟や漁労、原始的で単純な形の農業でさえもが示すあの敬うべき技法のようには、私に感動を与えることはない。それは太陽、月、風が携わっていた古くからの高貴な営みであり、人間の天賦の才と同じように古く、太陽、月、風などが生み出されたとき考案されたものである。(H・D・ソロー、山口晃訳『コンコード川とメリマック川の一週間』72頁)

 These modern ingenious sciences and arts do not affect me as those more venerable arts of hunting and fishing, and even of husbandry in its primitive and simple form; as ancient and honorable trades as the sun and moon and winds pursue, coeval with the faculties of man, and invented when these were invented.(Henry David Thoreau, A Week on the Concord and Merrimack Rivers, LA.*1, p.47)

*1:Henry David Thoreau, A Week on the Concord and Merrimack Rivers; Walden; or Life in the Woods; The Meine Woods; Cape Cod, The Library of America, 1985