空というページ


大地/天空、土地/空に大きく二つに分けられた世界の中で、昼/夜の交替が永遠に繰り返され、風/水/火(熱)の運動(循環)によって、温/冷、乾/湿という変化が生じる。ほぼそのような世界に関する自然哲学的フォーマットを下敷きにして、ソローは旅人にとっての空の意味と旅が向かう常に未踏かつ無限な領域について次のように語る。

 もし大地になんら新しいものがないとしても、旅人はいつも空に富を持っているのである。空はいつも眺めるに値する新しいページである。風はこの青い領域に常に植字している。それを吟味すると必ず真実が読み取れる。そこにはライムの果汁よりも淡い非常に澄んだ微妙な色合いで書かれたものがある。昼間の目にはその形跡をたどることができず、夜の不思議な力だけがそれらを明らかにする。それぞれの人の昼間の大空は、星のたくさんある彼の夜の時間の中にあるビジョンの輝きに心の中で応じているのである。(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著、山口晃訳『コンコード川とメリマック川の一週間』412頁)


この箇所を読むと、子供の頃ミカンの果汁などを使って遊んだ「あぶりだし」のことを思い出す。あぶりだしは、乾燥すると無色となる液体で文字や絵を紙などに書き、それに熱を加えてあぶることで成分に酸化などの化学変化をさせて見えなかった文字、絵を浮び上がらせる遊びのことである。「夜の不思議な力」は原文では「夜の化学(the chemistry of night)」とあり、火や熱も連想させる。また、かなり逸脱、飛躍するが、附箋だらけになった本のどこかユーモラスな姿を連想する。附箋が小さな翼あるいはチベットあたりの風にはためく祈りの旗のように見えてくる。そしてマークした文字列が附箋の翼に乗ってその本から飛び立ってどこか他の本のある頁や、記憶の中のある頁に舞い降りたり、それこそ天空に舞い上がり、空の新しいページになるような錯覚を抱く。

 If there is nothing new on the earth, still the traveller always has a resource in the skies. They are constantly turning a new page to view. The wind sets the types on this blue ground, and the inquiring may always read a new truth there. There are things there written with such fine and subtile tinctures, paler than the juice of limes, that to the diurnal eye they leave no trace, and only the chemistry of night reveals them. Every man's daylight firmanent answers in his mind to the brightness of the vision in his starriest hour.(Henry David Thoreau, A Week on the Concord and Merrimack Rivers, LA.*1, p.292)

*1:Henry David Thoreau, A Week on the Concord and Merrimack Rivers; Walden; or Life in the Woods; The Meine Woods; Cape Cod, The Library of America, 1985