蚕の音楽、瞽女と詩人


「ブラジル 赤土とジャカランダへの道/旅人:詩人吉増剛造」(「世界・わが心の旅」NHK BS, 1996年11月30日放送)

 現代日本の代表的詩人・吉増剛造は、ブラジル人歌手マリリアと出会って結婚。以来ブラジルは第二の故郷となり、彼を詩作へかり立てる原動力となった。
 番組では、吉増剛造サンパウロの移民とその子孫130万人が暮らす日系人社会を訪れ、そこに脈々と続く俳句文化を伝える。

 「番組紹介」より


14年前に放映されたドキュメンタリー番組を学生たちと一緒に見た。いろいろと啓発されるところがあった。一方では、ブラジルの風土の特質を、テーラ・ロッシャ(赤土)、巨大な蟻塚、天空に不思議な共鳴音を響かせる蝉の鳴き声、ジャカランダの紫の花等々を通して深く探り、他方では、ブラジルにおける俳句文化に表出された日系移民の方々の生活を支えてきた心の有り様、特にその「かそけさ」あるいは「ゆらぎ」にしなやかに接近しながら、吉増剛造さんは、自らも第二の故郷と思い定める土地に心身を浸すように赤土の道を歩き、蟻塚に触れ、蝉の声に耳を傾け、ジャカランダの花を見上げる。

その中で特に印象に残ったのが、吉増剛造さんがサンパウロ郊外のアリアンサという村のある農家を訪ねた時のことである。その農家ではまだ蚕が飼われていたのだ。驚いた。養蚕が健在だったことと同時に、詩人と蚕の遭遇に驚いた。詩人と農家の家族の方々との蚕と俳句をめぐる親密で暖かい会話を聞きながら、私はちょうど海女と並んで瞽女(ごぜ)への関心から読んでいた鈴木昭英瞽女』((高志書院、1996年))の中の養蚕農家の瞽女にまつわる民間信仰について書かれた条りを思い浮かべずにはいられなかった。



瞽女―信仰と芸能

 瞽女に対する信仰が生業のうえで最も顕著に現われたのは養蚕である。養蚕業の盛んな地方では、繭の増産を願って瞽女をよく迎え入れた。県内では養蚕地帯の魚沼や頸城の山間部はもちろん、県外はわが国第一の養蚕県を誇った群馬県をはじめ、周辺諸県、関東諸県の遠くまで訪れたうらには、養蚕信仰に支えられた面が大きい。
 瞽女が養蚕期にそうした地方を訪れると、瞽女が来るのを縁起がよいとして歓待する。そして元気のいい唄を蚕に聞かせてほしいと養室に導き、養棚に下で歌わせたりする。そのためにわが家に泊まってほしいという人もあり、宿にはこと欠かない。今日はどの家に泊まろうかと選ぶことさえできた時代があった。
 蚕に唄を聞かせるというが、それは歌詞の内容、演目にはさほど関係がない。問題は伴奏楽器としての三味線の旋律にあったらしい。蚕は三味線の音が好きで、その音を聞くと桑の食い方が違うというのである。それで蚕が丈夫に育ち、収穫が上がるとする。だから、蚕の眠りのさいちゅうに瞽女が来て歌うと、蚕が喜び勇んで休まれないとし、瞽女に歌うのを遠慮してもらう人もあった。こんなふうであるから、夏場に群馬などの県外へ出かけた瞽女は大変な稼ぎがあったという。
(中略)
 このようにして、三味線の奏でる音に異常な力を認めるわけは、その音を発する三味線の糸が蚕の絹糸を縒って作ったもので、それからそれへと同類を呼ぶためであると解釈されている。したがって、瞽女が巡業で使い古して切れた三味線の糸が、蚕のお守りとして重宝される。糸の切れっぱしを瞽女から分けてもらい、養棚のすみや蚕かごにしばっておいたり、蚕の掃き立てや剪定に使う箸のつなぎ紐とする風習も見られた。その糸は、瞽女が旅の稼業でさんざん弾いて切れたものでなければ効果がないという。

 鈴木昭英瞽女』(高志書院、1996年)100頁〜101頁


三味線の独特の音は蚕の<歌声>でもあったのか。魅力的な「解釈」だと思う。養蚕という生業や瞽女稼業の底に流れる蚕の音楽が聴こえてくるようだ。そして詩人は養蚕なき時代の三味線を持たない瞽女に思えた。