舟の家/廓舟(くるわぶね)


螢川・泥の河 (新潮文庫)


宮本輝の小説「泥の河」(1977年)に舟の家に暮らす家族が登場する。昭和30年代の民俗、風俗、特に家船(えぶね)への関心から久しぶりに読み返した。読んでいるうちに小説の力、あるいは物語る視点が気になり出して、民俗、風俗的関心から逸れていった。八歳の信雄の経験を語る視点はおそらく幼い頃の自分を見る数十年後の作者なのだろうが、その視点はこっそりと信雄の父親の視点に潜ませてあるようにも感じた。八歳の子どもが生きる世界は空間的には狭いかもしれないが、そこには大人の世界も絶えず得体のしれない空間として闖入していて、巧く焦点を合わせれば、そこには社会の諸相が凝縮されて万華鏡のように映し出されている様を見ることができる。夜に廓舟(くるわぶね)に変貌する泥の河に浮ぶ舟の家がまるであの世への渡し舟ででもあるかのように感じられたのは錯覚ではないだろう。興味深く読んだ。1982年に小栗康平によって映画化されたことは知っていたが、映画はまだ観ていない。


***


小説は大阪の安治川河口付近の川と橋に囲まれた河畔の濃密な描写から始まる。

 堂島川土佐堀川がひとつになり、安治川(あじかわ)と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川がまじわるところに三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋(はたてぐらばし)、それに船津橋である。
 藁(わら)や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見下ろしながら、古びた市電がのろのろと渡っていった。
 安治川と呼ばれていても、船舶会社の倉庫や夥しい数の貨物船が両岸にひしめき合って、それはもう海の領域であった。だが反対側の堂島川土佐堀川に目を移すと、小さな民家が軒を並べて、それがずっと川上の、淀屋橋や北浜といったビル街へと一直線に連なっていくさまが窺えた。
 川筋の住人は、自分たちが海の近辺で暮らしているとは思っていない。実際、川と橋に囲まれ、市電の轟音や三輪自動車のけたたましい排気音に体を震わされていると、その周囲から海の風情を感じ取ることは難しかった。だが満潮時、川が逆流してきた海水に押あげられて河畔の家の真下で起伏を描き、ときおり潮の匂いを漂わせたりすると、人びとは近くに海があることを思い知るのである。(9頁〜10頁)


見事な描写だと思う。単に景観だけでなく、そこに暮らす人びとの生活感までもがよく伝わってくる描写である。このすぐ後に、端建蔵橋のたもとにある「やなぎ食堂」という名のうどん屋に「馬車を引く男」を登場させて、「昭和30年の大阪の街には、自動車の数が急速に増えつづけていたが、まだこうやって馬車を引く男の姿も残っていた」と簡潔に世相の移り変わりと時代設定を記している。


その男は店を出た直後に昭和橋であっけなく事故死する。数日後、うどん屋のひとり息子の小学二年生、八歳の信雄は、その事故現場で見知らぬ怪しい少年に出会う。その少年は馬車のおっさんのことを知っていたらしく、「あいつ、ときどきうちにも来よったわ」と吐き捨てるように言って信雄の顔をじっと見つめる。信雄と同い年の喜一という名のその少年は、昨日、川上の方から湊橋の下に引っ越して来た舟の家に住んでいる。ここで「舟の家」が登場する。

「僕の家(うち)、あそこや」
 突然、少年は土佐堀川の彼方を指差したが、雨にかすんだ風景の奥には、小さな橋の欄干がぼんやり屹立しているだけだった。
「どこ? よう見えへんわ」
 少年は市電のレールを横切ると、端建蔵橋の真ん中まで走っていった。信雄もあとを追った。
「あそこや。あの橋の下の、……ほれ、あの舟や」
 目を凝らすと、湊橋(みなとばし)の下に、確かに一艘の舟が繋がれている。だが信雄の目には、それは橋げたに絡みついた汚物のようにも映った。
「あの舟や」
「……ふうん、舟に住んでんのん?」
「そや、もっと上(かみ)におったんやけど、きのう、あそこに引っ越してきたんや」(20頁〜21頁)


そして喜一は自分の住む舟の家に付いてきたらしい巨大な「お化け鯉」の存在を信雄に教える。このお化け鯉は舟の家に暮らす家族の得体の知れなさを象徴するイメージとして信雄の頭の中で人を飲み込んでしまうような巨大な幻想にまで肥大化させられ、最後にはその舟の家とともに信雄の目の前から消える。


喜一には二つ歳上の銀子という名の姉がいる。喜一も銀子も学校には通っていない。父親はいない。母親がその舟で春をひさいで生計を立てている。昼間の「舟の家」が夜には怪しい舟に変ることを信雄の父親をはじめとして大人たちは皆知っている。信雄だけが知らない。父親は信雄に夜に舟に近づくことを固く禁ずる。


信雄と喜一は急速に親しくなる。信雄は銀子に仄かな恋心さえ抱く。三人はお互いの家を行き来し合うまでになる。信雄の両親はすべてを知りながら喜一と銀子に優しく接する。ある日、喜一が信雄の家に遊びに来ていた時に、ポンポン船で川を上り下りしている男たちが、うどんを食いにやってくる。その場面ではじめて「廓舟(くるわぶね)」という言葉が一人の男の口から弾丸のように飛び出す。

「あれっ、こいつ廓舟(くるわぶね)の子ォと違うか……」
 男たちは一斉に喜一を見つめた。喜一は知らぬふりをして本から視線を移さなかった。
「廓舟て、あそこのボロ舟かいな」
「そうや、粋な名前やろ。小西のおっさんがつけたんや。あのおっさん、ご執心やったからなあ」(53頁)


その後信雄は「クルワブネ」という言葉が仄めかす「大人の世界」に吸い寄せられるように接近していく。天神祭の夜に喜一に誘われて父親に固く禁じられていた夜の舟の家に入る。見えない境界を跨ぎ越していわばあちら側に足を踏み入れる。信雄は夜の舟の家で大量の蟹に次々とランプ用の油を呑ませては火をつけて興じる喜一の「狂気」を目の当たりにする。そして「クルワブネ」の意味する悪夢のような現実に触れ、あちら側にいる喜一と銀子の姿を垣間見ることになる。

 闇の底には母親の顔があった。青い斑状の焔に覆われた人間の背中が、その母親の上で波打っていた。虚ろな対岸の明かりが、光と影の縞模様を部屋中に張りめぐらせている。信雄は目を凝らして、母親の顔を見つめた。糸のように細い目が、まばたきもせず信雄を見つめ返していた。青い斑状の焔は、かすかな呻き声を洩らしながら、さらに烈しく波打っていった。
 信雄の全身がざあっと粟立った。彼は舟べりをあとずさりして戻って行った。姉弟の部屋に降りた途端、大声で泣き出した。銀子と喜一の姿を捜しながら、河畔に響き渡るような声で泣いた。
 部屋の隅に立ちつくして、自分をじっと見おろしている姉弟の黒い輪郭に気づくと、信雄は泣きながら手探りで靴を履き、渡しをよろよろと渡って細道を這い登っていった。花火はまだつづいていた。


その夜以来信雄は喜一と銀子に逢うことはなかった。両親の都合で明日店を閉め、新潟に引っ越すという日に、舟の家もポンポン船に曵かれてどこかへ引っ越すところだった。信雄は舟を追いかけて川筋の道を小走りで上っていきながら、「きっちゃん、きっちゃん」と大声で呼びかけ続けるが、まったく反応はない。途中であのお化け鯉が舟の家を追いかけるように川を上っていくのを見る。気がつくと信雄は見慣れた河畔を過ぎ、足を踏み入れたことのない「他所の街」にいた。ついに信雄は舟を追いかけることも呼びかけることも諦める。信雄は、舟の家と一緒にお化け鯉も目の前から消え去るのを見ていた。見事な結末である。