朝の歩道を年配の三人の女性が横に並んでこちらに向かってゆっくりゆっくり歩いてくるのが見えた。向かって右側、車道側を歩いているのは背の高い比較的若い女性だった。左側の二人は老女に見えた。若い女性が二人の老女を庇護しているように見えた。その三人の様子になぜか強く惹かれた。歩きながらカメラの露出を調整しているうちに彼女たちとの間の距離は縮まった。どんどん近づいてくる彼女たちの表情は一様に硬かった。変な帽子を被り、ヒゲを生やし、カメラを手にした男に訝しげな視線を向けていた。三人の顔にはどこか見覚えがあるが、思い出せない。三人は危険から身をまもるようにお互いにしっかりと手をつないでいた。すれ違い様に「おはようございます」と声をかけたら、三人とも顔がほころんだ。笑顔を見た瞬間思い出した。左端の老女は昨年の夏に少しだけ言葉を交わしたことのある風蝶草を大切に育てているおばあさんだった。
腑に落ちた。三人ともどこか似ている。三世代の母娘だ。おばあちゃんを守るように間に挟んで娘と孫が手を繋いで寄り添って歩いていたのだ。いい光景だった。立ち止まって、話をして、写真を撮ってあげたかった。ふと、三世代の男たちがしっかりと手を繋いで歩く姿は想像しにくいなあと思った。断言はできないが、もし祖父と父が生きていたとしても、そうした方がいいことが分かっていたとしても、そうすることはできないような気がする。でも、なぜだろう? そう思う男としての私は何に囚われているのだろう?