言葉は何度でも遅れてやって来る

もう更新されないブログを毎日見に行く。それはウェブ上に浮ぶ「墓標」のようなブログだ。以前それを私は「詩集」と呼んだ。2010-07-25に更新された「(終わりの歌)」と題された詩を最後に、そこに「・・・はい。もうここは終しまい」と書かれている通りに、そのブログは詩集として閉じた。だが、そこ、紙/電子の違いを越えた空間に綴られた文字たちは、見る度に違う楽譜を奏でるかのように、現在も様々な声、唄を聴かせる。「えぇ。無数の眼で書いていきましたから」。このような言葉の古の隘路を経なければならなかった書き手は、その身ひとつを地球の風の中に文字のように翻しながら、今日も歩いている。


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