言葉の死線を綱渡りするように

老婆心ながら、ちょっと書いておきたい。

萌時


海さんが、いつの間にか肩書きをそれまでの「書き手」から「詩人」に変え、ブログ圏のコミュニケーション作法の常識を遥かに越えて、言葉の「死線」を綱渡りするような驚くべき強度の詩編を次々とこのウェブ界に投じている。彼のブログ、いや、それをブログと呼ぶことはもう止めよう、誰のものでもない言葉と深く切り結ぶ覚悟があれば、そこは限りなく開かれた世界であるはずだから、彼の永遠に未完の「詩集」と呼ぼう、が更新されるたびに、私も末席を汚す世界に新鮮な血液が注入され、世界全体が更新されるかのような愉快な錯覚に浸っている。もう、ブログがどーのこーの、ツイッターがどーのこーの、上から目線で言ってる場合じゃない(あっ!)。