- 作者: 姜信子,アンビクトル
- 出版社/メーカー: 石風社
- 発売日: 2002/05
- メディア: 単行本
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車椅子の人形使いソン・セルゲイ。かつて極東ソ連から遥か遠く中央アジアのカザフスタンに追放された高麗人の子孫の一人。〈国家〉という巨大な狂気に翻弄された「高麗人の運命」を写真の大きなひとつのテーマにすえるウズベキスタンの写真家アン・ビクトルは、ソン・セルゲイ親子の生き様に、余分なものを削ぎ落とした、シンプルで「豊かな生命力」、ささやかな、しかし強靭な「生きる希望」のつかまえ方を感得し、写真に収めた。それに深く共感するようにして姜信子さんは次のように記した。
セルゲイは、カザフスタンで生まれ育った高麗人(コリョサラム)。仕事中の事故で脊椎がつぶれて下半身不随になるまでは、油田の技師でした。1982年のある日、グシャッと車の車輪に脊椎がつぶされる音を聞いたその瞬間から、セルゲイは新たな人生の一歩を動かない足で踏み出すことになったのです。
写真家(アン・ビクトル)がセルゲイと出会った時には、すでに彼は、みずからの手で石膏をこね、息を吹き込んで作り出した数多くの人形を自由自在に操る人形使いでした。
カスピロフスキー、ヴィソツキー。ロシアの民話、漫画、映画でお馴染みの主人公たちが、彼の手で生命力溢れた人形となって織り成す物語に、子どもも大人も笑い、泣き、満ち足りた心になって日常へと戻っていくといいます。人形使いの豊かな生命力が、人形たちに生命を与え、生き生きと動く人形たちを観る者たちにも生きる力を分け与えるのです。失意のどん底からはいあがってきた人形使いの、生かされ生きていることへの感謝の思いと喜びが、人形たちを通して人々の間にしみいっていくのです。
人形使いセルゲイの日々の中へと入っていった写真家は、セルゲイがどれほど年老いた両親に勇気づけられたのか、そしてセルゲイがどれほど両親をいたわり支えたのかを、つぶさに見てきました。
突然に下半身の自由を失った息子にモスクワの病院で最良の治療を受けさせようと奔走し、実らぬ努力にもけっして気を落とすことなく、逆に、強く生きろと励ましつづけた父。その思いをしっかりと受けとめた息子。
セルゲイの筋肉隆々の上半身は、彼が日々のトレーニングで身につけた生きる力です。
セルゲイの人形たちは、生きる希望を失わなかった彼がひょんなことから見つけた希望の宿り木です。そう、最初は、人形遊びをしたいという甥っ子を喜ばせるために、人形を作っただけのこと。それが、後々、自分自身にも、多くの人々にも大きな喜びをもたらすようになるとは、想像だにしなかったことでした。
セルゲイを励ましつづけた父は、1995年にこの世を去り、父とともにセルゲイを支えつづけた母は、父の死後すぐに病の床につきました。セルゲイは心を尽して母を看病した末にその最期を看取ったのでした。
(中略)
セルゲイは、いま、人形たちとともに、カザフスタンの田舎に暮らしています。
姜信子(文)+アン・ビクトル(写真)『追放の高麗人(コリョサラム)』238頁〜239頁