心の内のクルディスタン:写真家松浦範子の旅


クルディスタンを訪ねて―トルコに暮らす国なき民

クルディスタンを訪ねて―トルコに暮らす国なき民



クルド人のまち―イランに暮らす国なき民

クルド人のまち―イランに暮らす国なき民


かつてトルコの女たちは嫁入り道具のひとつとして絹の絨毯を織ったという。

最高級品である絹の絨毯は、目が細かく、模様も複雑だ。一日中織り続けてもほんの数センチにしかならず、一生の間に織れる絨毯はほんの数枚といわれている。そんな繊細で緻密な作業をするのは歳のいかない少女たちだ。指が細く、目のよい若いうちでないと、絹は織れないからだ。歳を重ね、家事や力仕事で指が太くなると、糸も太く、目の粗いウールの絨毯を織るようになる。さらに老齢に達し、目が衰えれば、糸を紡ぐ役目へと変ってゆく。色や柄のすべてに意味が込められ、その土地ならではの特徴を兼ね備えた絨毯は、元来、女の子が八歳くらいになると母親から手ほどきを受け、嫁入り道具として持参するために織ったものだった。しかし、現在ではそんな習慣も薄れ、工房で織られるようになった高価な絨毯は、海外からやって来る観光客向けのものとなってしまった。また、工房で絨毯を織る仕事というのは、地味で目を酷使する厳しい労働の割に報酬が少なく、織り手は減る一方らしい。(松浦範子『クルディスタンを訪ねて』新泉社、2003年、14頁)


写真家松浦範子のトルコの旅は、1996年の夏、そんな「消え行く美しい習慣」を見るために始まった。当初は「絨毯織りの女を取材して本にしよう」と計画していたという。だが、旅の途上で彼女は当時日本ではアカデミズムでもマスコミでもタブーとされていた「クルド人問題 Kurdish Issues」に逢着する(クルド人問題の日本での扱われ方に関しては、中川喜与志著『クルド人クルディスタン』が詳しい)。そして彼女の旅は国境を跨いで、クルド人の暮らす土地「クルディスタン」の旅に深化していった。

 「国を持たない民族としては世界最大」といわれるクルド民族は、メソポタミア文明発祥の地、チグリス・ユーフラテス川の上流地域に古くから暮らしてきた先住民族である。その総人口は二千五百万とも三千万ともいわれ、中東ではアラブ人、トルコ人ペルシャ人に次ぐ規模を誇る。五十万平方キロメートルにも及ぶその居住地域は、古くから「クルディスタン(=クルド人の土地)」と称されてきた。しかし第一次世界大戦後、その土地は、トルコ、イラン、イラク、シリア、旧ソ連などの国境線で分断されるようになり、併合されたそれぞれの国内においてマイノリティとなったクルド人たちは、同化政策や差別、時に熾烈な迫害に直面してきた。(松浦範子『クルディスタンを訪ねて』新泉社、2003年、25頁)


しかし、松浦範子の旅は、複雑な「クルド人問題」の何たるかをよく知り、知らない人たちに伝えるという目的のためだけに続けられたわけではなかった。そもそもクルド人を「問題」たらしめている理不尽な世界の構造に知らずに加担してきた自分自身を根底から目覚めさせる、自分の心を根底から変えるために続けられたのだった。なぜなら、「クルド人問題」とは誰にとっても心の問題でもあるからだ。十年以上におよぶクルディスタンの旅を振り返りながら、彼女は次のように語った。

 クルディスタンという一筋縄ではいなかい広い土地を、どこもかしこも訪れてみたいという思いではじまった「クルド人のまち」への旅は、トルコを皮切りにイラン、シリア、イラクへと進路を延ばし、日本との往復を繰り返しながら、早十年以上が過ぎた。

(中略)

 ただ消えて行くだけの一瞬一瞬に散りばめられた一コマ一コマ。だがそういった、其処此所でちらちら見え隠れする人々の幽けき表情や背中に、私は自分の心の内にあったおぼろげな何かを呼び覚まされてきた気がしてならない。
「小さなことが大切なのです」
 ある人がそう言っていたのを思い出す。
 世界には、強大なものと同時に、ともすれば見過ごしてしまいそうな存在が無数にある。冷たく無関心な眼は、それを見ようともせず、気づくことさえない。そんな心の貧しさや弱さを、クルドの人々の眼差しは鋭く問うているかのように、私には見えてしまう。
 その一方で、クルド民族の悲劇やら苦難をつぶさに並べたてたとて、とうてい彼らを理解したことにはならないということをも、思い知らされてきた。彼らを“国境で引き裂かれた悲劇の民族”などといって、わかったつもりになったら失敗する。

 訪れるまちというまちに、さまざまな問いや人情の機微、差し伸べられるたくさんの手、数々の心をくぐらせた言葉があった。その一つひとつが、私の心の隙間に入り込み、衝突し混じり合って、私の意識の根底に、興味の範疇を超えたクルディスタンに対する執着心を生んだ。
 人は自分自身が生まれ変わるきっかけとなるようなエネルギーを与えてくれる存在を愛するものだという。クルディスタンとは、私にとってそれだったのかもしれないと、近頃ではそう思えるようになっている。(松浦範子『クルド人のまち』新泉社、2009年、283頁〜284頁)


「自分の心の内にあったおぼろげな何か」とは、心の内の「クルディスタン」に他ならない。


参照



クルド人とクルディスタン―拒絶される民族

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クルディスタン=多国間植民地

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