旅の道連れ、移動の快楽


Agend'Ars アジャンダルス

Agend'Ars アジャンダルス



アイヌ神謡集 (岩波文庫)

アイヌ神謡集 (岩波文庫)

境界に安心する各国語を離れて
不自然きわまりない語法と用語を開発するべきなんだ
そうすれば知らなかった地帯が見えてくる
知らなかった色彩の悲哀がしだいにわかってくる
ありえなかった知識が生じる

  管啓次郎『Agend'Ars』左右社、2010年、58頁

不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。

  知里幸恵アイヌ神謡集岩波文庫、1978年、4頁


先週の台湾と中国への出張には旅の道連れとして二冊の本を携えていた。読むためというより、その「精神」と一緒に旅がしたかった。実際にまともには読めなかったが、移動中にぱらぱらとめくっているときに、上に引用したような言葉が心に響いた。特に出国手続きを終えて、行く先の国に入国するまでの間の宙づりになったような時間には。国家や国語に安住する常識からすれば、国家間の移動中や理解できない異国語の只中で全身が耳と化すような時間は異常事態かもしれないが、私はそういう時間が好きだ。文字通りではないにせよ、移動や変化や混沌こそが正常なのだと感じている。例えば、日本語を話せない、相手が何を言っているのか分からないという状況は、そのまま死んでもいいほどの快楽である。