レーモン・ルーセル『アフリカの印象』は恐ろしいほど静かな印象だったが、後半に意味深長な寓話と言ってもいい、ある詩的な挿話が語られていて興味深かった。
ソローは、ギリシアでは、アテネ滞在中、自由時間を利用して、ガイドと一緒に町や周辺の田舎の美しさを見てまわっている時に、次のような詩的な挿話を知った。
ある日アルギュロスの森の奥で、ガイドはソローを鬱蒼と木の茂る四つ辻の角まで連れてゆき、ここのこだまは、おどろくほど澄んだ声で答えるので評判だから、試してみてくれと言った。
ソローが、言われた通り一連の言葉や声を発してみると、すぐに、そっくりそのまま返ってきた。
ガイドはそこで、次のような物語をした。それをきいて、ソローはこの場所に不意に思いがけない興味を抱いた。
1827年、全ギリシアの偶像であり、その独立の恩人であったカナーリスは、しばらく前からギリシアの議会に講座を持っていた。
ある夏の夕、もと海軍の軍人だったこの著名な男は、数人の側近を連れ、アルギュロスの森をゆっくりとさまよい、たそがれの魅力を陶然と味わいながら、国の将来について語り合っていた。国の幸福こそ、彼の唯一の関心事だった。
こだまで有名な四辻まで来ると、このあたりをはじめて訪れたカナーリスは、連れの一人から、散歩する人たちがみな試してみるこの音響上の現象について、ごく型通りの説明を受けた。
自分も神秘の声をききたいと思い、英雄は指示された場所に立ち、でたらめに「バラ」という語を叫んだ。こだまは、そっくりその言葉を繰り返した。しかし一同が大いに驚いたことには、得も言われない、強いバラの香りが、同時に大気の中にひろがったのである。
カナーリスは、もっとも香りの高い花の名前を次々に叫んで、実験をもう一度行ってみた。その度ごとに、明瞭な即座の答が、その花の馥郁たる芳香に包まれて返ってきた。
翌日、この噂は口から口へと伝えられ、自国の救世主に対するギリシア人の熱狂を一層大きなものにした。彼らに言わせると、自然そのものが、この凱旋将軍に名誉を授けようとして、もっともすばらしい花々のあえかな匂いを、その通る道すじにまきちらしたのだった。
「名前」はその奥に広がる世界の入り口にすぎないだろうが。