清岡卓行の遺稿詩集『ひさしぶりのバッハ』に不思議な四行詩が一篇ポツンと収められている。岩坂恵子の「あとがき」によれば、それは「未整理のファイルのなかから偶然見出された」もので、「題がなかったので、便宜上つけてあります」という。「久しぶり」という仮題がつけられたその四行詩は一行十七文字をぴったりと揃えた形をとっている。
ほんとに久しぶりだね と懐かしがると
照れ臭そうに 無精髭の顔をほころばせ
底近くまでおおきく欠けた 湯呑茶碗に
彼はお茶を そっとそっと入れてくれる。
まるで死んだ友人と再会した夢の中のシーンを描いたかのようだ。端正に刈り込まれた生け垣のような平易な言葉で綴られたこの詩は、しかし、一種の狂気を優しく縁取っていると感じる。湯呑茶碗の欠けたところからお茶が入れる先から零れて広がるのを黙って見続けている目がある。岩阪恵子が発見しなければ、こうして読まれることのなかった詩は、宛先不明の手紙のようなものだと考えることもできそうだ。もしかしたら、それは人に宛てることを断念して、詩の世界に直接宛てられた手紙だったのかもしれない。「久しぶり」という言葉にこの世の縁を優しくなぞるような仕草が浮かび、戦慄を覚えた。