マルグリット・デュラスの塩漬けキャベツ


asin:4560042659、装幀は北園克衛(きたぞの かつえ, 1902–1978)


マルグリット・デュラス(Marguerite Duras, 1914–1996)の初期の短編小説「木立の中の日々」(Des journées entières dans les arbres, 1954)で印象的なのは何よりも「塩漬けキャベツ」である。


「木立の中の日々」では、五年ぶりに息子に会うために田舎から上京してきた年老いた母親、パリに暮らす放蕩息子ジャック、そして彼のアパートに同居する女マルセルの三人の間の、お互いに決して分かり合えないということ自体をかろうじて分かり合うというぎりぎりの関係が、基本的にうまく噛み合わない台詞の多用と、細かな仕草や表情や目つきの客観的な描写の積み重ねとによって、まるで戯曲のように描かれている。そしてそのぎりぎりの関係を支えるのが、朝と夜の二回、三人がひとつのテーブルを囲んで食べる塩漬けキャベツである。「塩漬けキャベツ」に関する会話は例外的にうまく噛み合う。

「泣くもんじゃありませんよ」と、母親がいった、「こうしてみんな元気で、おいしい塩漬けキャベツをいただいているでしょ、これですよ、だいじなことは。」
「ほんとですわね」と、マルセルがいった。
「それ以外のことは、ふつう考えられているほど重要じゃないんだ」と、息子がいった。(平岡篤頼訳、107頁)


手元に原書がないので、確認することはできないが、「塩漬けキャベツ」と訳されているのはもともとアルザス語の「シュークルート(Choucroute)」、つまり、あの「ザワークラウト(Sauerkraut)」のことであろうと推測する。ただし、マルグリット・デュラスの「塩漬けキャベツ」は、「白ぶどう酒で煮てあって、良く漬かっているやつ」とあり、息子は近所の店で買ってきた出来合いの塩漬けキャベツを「火にかけ」、母親の指示にしたがって、「少量の白ぶどう酒を加えた」とある(19頁〜20頁)。


塩のみで乳酸発酵させて作るザワークラウトもシュークルートも、ソーセージなどの肉類の付け合わせとして、そのまま味わうものだと思い込んでいたが、白ぶどう酒で煮たり、火にかけることによって、旨味が濃縮されるのだろう。ちょっと調べてみたら、ザワークラウトもシュークルートも、そのまま食べるだけでなく、各地で煮込み料理によく使われることを知った。そういえば、日本にも朝鮮由来のキムチチゲがあるではないかと腑に落ちるところがあった。


「木立の中の日々」というフィクションのなかで、塩漬けキャベツが妙に浮いているように感じられもしたのは、おそらくそれがマルグリット・デュラスの大好物でもあったからではないかと詮無い空想に耽っていた。


参照


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