札幌の桜は今こんな

朝起きたら、新雪が10cm以上は積もっていた。

天気は限りなく曇りに近い晴れ。しかし、連日そうだが、日中雪は降ったり止んだりを繰り返している。原生林も三日連続の降雪ですっかり雪化粧。




この林の脇を毎朝風太郎と歩く。視力は衰え、カメラの液晶モニターもよく見えないし、長い時間立ち止まってもいられないので、いつもシャッターは勘で押す。今朝は原生林では奥のほうから甲高いさえずりが聞こえたものの、野鳥の姿は見えなかった。タンポポ公園のエゾノコリンゴ(蝦夷の小林檎)も雪化粧。立ち並ぶ住宅の間から見える、立ち入れない空間に林があって、そこの樹々では毎朝数種類(ツグミが多いようだ)の野鳥のさえずりの大合唱が表通りにも響いてくるのだが、家と家の隙間から狙うも、距離がありすぎて、36倍ズームしてもまともな写真が撮れない。試しに一枚撮ってみた。識別は困難だが、太い嘴と肩のあたりの白っぽい斑から、ウソのように見える。(嘘だったらごめんなさい。)

昨日の雪で、あの「路地的階段」はどうなっているか、と思って見に行った。路地を「覗く」。この先に階段がある。

あれ、雪はきれいに融けている。

階段傍の家の前で雪を満載したママさんダンプを押していたオジさんと目が合って、尋ねた。「ここ、ロードヒーティング、入ってます?」「ああ、入ってるよ。」「…」この方ならこの階段の素性をご存知に違いないと思い、尋ねた。「あの、この階段はご近所の方々で作ったんでしょうか?」「ああ、そうだよ。町内会でな。」「そうですか。皆でお金を出し合って?」「うん、大半は町内会費で賄った。」「いつ頃ですか?」「そうだな、10年以上は経つかな。」etc.。

そういうわけで、やっぱり、私は一目見て、これは「助け合い」の精神の結実にちがいないと直観したのは正しかったことが判明した。嬉しかった私は見晴らしのいい階段の上に立ち、藻岩山の南側全容をふたたび撮った。大分前に書いたように、右端の裾野を「軍艦岬」という。その下を走る国道230号線、通称「石山通」には「スナック軍艦岬」がある。

階段を後にして、初めてここに来たときから、なぜか惹かれる表札を撮った。「下宿」という名前がノスタルジックなのだろうか。

実は、明け方変な夢を見たことを路地的階段に近付いたときに、突然思い出した。そのときまではすっかり忘れていた。一昨日(3/13)記録したように、私が発見した「路地」にはATELIERがあり、そこは「忘機菴」と命名されていた。まだ調べはついていないが、見た夢のかなで、「忘機」さんに会ってしまったのである。場所は藻岩神社の社務所の中のようでもあり、どこかのお寺の中でもあるようだったが、判然としなかった。とにかく畳の上で、冊子を広げ、そこに沢山書かれている俳句に、「忘機」という俳号がはっきりと見えた。「やった、わかった。この人だったんだ!」と私は夢の中でガッツポーズをとっていたような気がした。ちなみに「忘機」さんの姿はよく見えなかったが、着物姿だったようだ。そして剃り上げた頭とあご髭の印象が微かに残っている。

土曜日になると保育園児たちが歓声を上げてソリ滑りを楽しんでいるサフラン公園内には細い道がつけられている。近所の数人の私の顔見知りの年配の方たちがボランティアで「道付け」をしているのだった。いつもは人がいる時には中に入らないのだが、無人だったので、風太郎の要望を聞き入れ、その足元の覚束ない細雪道を歩いた。

電線に嘴の細いエゾビタキっぽいのが一羽とまっていたが、識別困難。

自宅近所のあるお宅の庭にあるオオヤマザクラ(エゾヤマザクラ、ベニヤマザクラ)の樹。

嫌なこともじきに終わるさ Blind Willie Johnson

昨日、メカスの365日映画で私の偏見に満ちた紹介をした盲目のゴスペル・シンガー、ブラインド・ウィリー・ジョンソン(Blind Willie Johnson, 1902-1945)について、最後に挙げたYouTubeにアップされているビデオは何度見ても素晴らしい。
YouTube - Blind Willie Johnson - Trouble Will Soon Be Over(1927)
http://www.youtube.com/watch?v=J6v4YPKoV9I

「嫌なこともじきに終わるさ」とでも訳せるだろうか、「Trouble Will Soon Be Over」は実際には至極淡々と始まるが、しかし、絞り出すような濁った深い声が途中湧きあがる。そして小柄な奥さんの澄んだ高い声が絶妙にコーラスする。

映像そのものも最初から最後まで素晴らしい。誰が撮ったのだろうか。まるで「夢の映像」のようだと思った。1927年以前に撮られた古いものだからというのではなく、そのアングルといいフレーミングといい、対象との距離感の具合といい、教会には見えない粗末な建物といい、すべてのクオリティがなぜか夢を連想させる。映画とは本来このような映像のことをいうのか、とふと思った。その意味では、これは「映画の夢」、映画が夢見るような映像と言えるだろうか。

このビデオには「神さまが強い味方なんだ」("GOD IS MY STRONG PROTECTION")というウィリーの言葉の引用らしい言葉がビデオをアップする際の記述(description)に採用されている。ウィリーの歌からは、不条理にも強いられた過酷な状況のなかで生き抜くために必要な「神さま」を必死でどこかから呼び出そう、呼び出しつづけなければならなった魂の震えを感じる。それは、ヨーロッパの石造りの教会での祈りとはかけ離れた、泥臭くて素朴だけれど、なぜか心を打つ祈る姿のように思えた。

「嫌なこともじきに終わるさ」と自分に言い聞かせ続けなければ生きていられないような人生は、「嫌なことをじきに終わ」らせてくれる「何か」を信じる人生であるだろう。その「何か」をウィリーは「神」と呼んだが、例えば「時」と呼んでもいいのかもしれない。

ちなみに、これをアップしたディレクター(Director)のブラジルの人らしいGabrielさんは、ウィリーの他にも、ブルース・シンガーの神さまみたいなジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker, 1917-2001)のビデオなんかもアップしていて、ネット人格的には年齢105歳で、こんな素敵なアート作品のポートフォリオ的サイトhttp://gabrielsantoro.com/も運営している。

神の視点、喜劇の視点 Peter Bogdanovich & Buster Keaton:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、3月、74日目。


Day 74: Jonas Mekas
Thursday March. 15th, 2007
12 min. 10 sec.

My old friend Peter
Bogdanovich
on
Buster Keaton and
a few other things --

古い友
ピーター・ボグダノヴィッチ
バスター・キートン
その他について
語る

アンソロジー内のシアターでアンソロジーの記念スピーチをするメカスをステージ脇から固定カメラがとらえる。メカスはユーモアたっぷりに力強く、シネマの奴隷説、シネマへの愛(Love for cinema)を語り、アンソロジー創設に尽力した共同創設者のジェローム・ヒル(Jerome Hill, 1905-1972)への感謝と思い出を語り、スペシャル・ゲストのピーター・ボグダノヴィッチを紹介する。ピーターとは60年代に、42番街で15本か20本の映画を一晩中一緒に観た思い出を語る。カメラのすぐ横にピータが控えているらしく、彼の声が時々入る。「そうだ。一晩中だった。」

マイクの前に立ったボグダノヴィッチはメカスの紹介を軽く受けて、いきなりバスター・キートン(Buster Keaton, 1895-1966)の話を始める。どうも、キートンの映画の上映を控えているようだが、状況ははっきりとはつかめない。キートンといえば、チャプリン、ロイドとならぶ「三大喜劇王」だが、「文句を言われるかもしれないが、私はチャプリンやロイドよりもキートンが好きなんだ」とボグダノヴィッチはキートンの魅力を語る。スタントマンなしの体を張った驚くべき演技、あの完璧に無表情ないわゆる「偉大なる石の顔」("The Great Stone Face" )、等々。

ボグダノヴィッチは引用していないが、キートンの有名な言葉に「悲劇はクローズアップ、喜劇はロング・ショット」("Tragedy is a close-up; comedy, a long shot.")がある。2月17日に触れた「喜劇とは悲劇プラス時間である」(“Comedy is tragedy plus time.”)というコメディアン女優キャロル・バーネットの言葉を連想するが、同じことを違う観点(時間か空間か)から述べた人生の真実であろう。と、思っていたら、このキートンの言葉はチャプリンのもっと具体的な有名な言葉の編集だった。*1「人生は近くから見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」(“Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.”)。もしかしたら、昨日、そして今日も取り上げた盲目の歌手ブラインド・ウィリー・ジョンソンにもどこか「喜劇」の要素があったのかもしれない、と不図思った。自分をあまりに近くから見てばかりいてはいけない。できるだけ遠くから見るんだ。そうすれば、どんな悲劇、嫌なこと(trouble)も喜劇に見えるさ。そして一番遠いはずの「神の視点」とは実は「喜劇の視点」なのかもしれない。

ピーター・ボグダノヴィッチ(Peter Bogdanovich, 1939-)といえば、「アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)」世代の監督の一人。*2
「ペーパー・ムーン」(1973)はとても好きないい映画だった。*3

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*1:「だった」とは、思い出して、検索したら、あった、という意味。

*2:その世代には、「フレンチ・コネクション」(1971)のウィリアム・フリードキン、「殺しのドレス」(1980)のブライアン・デパルマ、「アメリカン・グラフィティ」(1973)と「スター・ウォーズ」(1977)のジョージ・ルーカス、「タクシードライバー」(1976)のマーティン・スコセッシ、「未知との遭遇」(1977)のスティーヴン・スピルバーグ、「ディア・ハンター」(1978)のマイケル・チミーノ、「ゴッドファーザー」(1972)のフランシス・フォード・コッポラなどがならぶ。

*3:月に並んで腰掛けるカップルのイメージは、日本の少女漫画においても重要な深いメタファーとして継承されていることを、私は美崎薫さんから学んだ。

mmpolo「接着/交換」

3月2日にmmpoloさんは作間敏宏「接着/交換」展を紹介していた。
「作間敏宏展が導くもの」http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20070302/1172784378
それに大きな刺激を受けた私はその日のうちにすぐに感想めいたエントリを投げた。
「美は乱調にあり」http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20070302/1172855740

そしたら、mmpoloさんはわざわざオフラインで作間敏宏「接着/交換」(sakuma toshihiro "Adhesion/Replacement")展の手作りのパンフレットを送ってくださった。「手作り」というのは、オリジナルのパンフレットを本物と見紛うばかりに綺麗にカラー・コピーしたものを、巧みに「接着」して「折り込んだ」ものだったということ。一見したところは普通のパンフレットだ。捲って見るのが普通だろう。

しかし、私は何か微かな違和感を感じた。これは「普通」ではない。どこが、どうして?しばし、ためつすがめつしていて、ハッと気づいた。これは、こうして見るべきものだったのだ。やられた、と思った。




驚いた。机上インスタレーション空間が誕生した!流石、mmpoloさんだ。しかし、こうして物好きな私が気がつかなければ、mmpoloさんは永遠に教えてはくれなかっただろう。ちょっと意地悪な気もしたが、そこがまた魅力的である。これはmmpoloさんによる、作間敏宏「接着/交換」展パンフレットを素材にしたアート作品だと感じた。そこにはそれこそ工夫を凝らした「接着」の技と遊び心に溢れたアートの「目」が感じられたし、ある意味では私の中の「パンフレット観」を"Replacement"(「交換」)してもくれた。こんなことを書いても、ご当人は、あれは偶然です、とクールにお応えなさるだろうが。

忘却との戦い---私のハイパーリンク構築計画

一つの記事(エントリー)を書く時に、一番頭を使うのは、頭の中の潜在記憶をどれだけ呼び出して言葉を繋げるかと同時に、どの言葉に頭の外のどんなリンクを張るかということだ。情報にとってはリンク(つながり)こそが「生命」だと思っているからだが、ブログ外部へのリンク先の選択の難しさを痛感していると同時に、最近気になり始めたのは、どんどん増えて行く自分のブログの記録(エントリー)の内部におけるリンクの必要性である。端的にいって、結構「忘れている」のである。これって、いつかどこかに書いたよな、と思いつつ、あとでブログ内検索かけりゃいいか、とそのまま放置してしまうことも少なくなかった。しかし、それではせっかくの記録が「死蔵」されかねないな、と反省した私は、今日からそういう内部リンクをしっかり張る覚悟を決めた。私なりの手作り「ハイパーリンク」構築計画である。気になった言葉はいちいちブログ内検索をかけて、過去のヒットした記事にリンクを張る。ハイパーリンクの密度の低さ故に「ウェブは使い物にならない」と断言した美崎薫さんがご自身の膨大な記録のハイパーリンク構築を私には理解できない方法で実践なさっているが、私は私のやり方で、このウェブ上で私の人生記録の自前のハイパーリンクを構築したいと思っている。いつまで続くやら、ではあるが。